第72章 淡雪の恋
謁見は無事に終わり、庭を案内しながら聞いたところによると、二人は今日は城下に宿を取っているという。
「信長様自ら、お庭をご案内下さるとは…ありがとうございます!」
恐縮する大名と領地の話などをしながら庭を歩いていく。
数歩遅れて後ろをついてくる新九郎には、朱里があれこれと話しかけている。
「へぇ、新九郎くんはお兄さんなんだねっ!」
「はいっ!妹が一人、弟が二人います」
「うわぁ、賑やかだねぇ」
(本当にいい子だな…信長様も気に入られたみたいだけど…)
彌木家は、信長様が西国を治める上で重要な地に領地を持っている為、織田家の傘下に入った彌木家を信長様が丁重に扱われるのは戦略的に正しいことだ。
けれど、そのことを差し引いてもなお、二人の人柄を好ましく思われているのが分かる…自ら庭を案内しようとされるぐらい。
「信長様、少し休憩しませんか?この先の東屋で、お茶の支度をさせますので……」
「ん、ああ、気が利くな、朱里」
「ふふっ…」
庭の一角に設けられた東屋からは池も見渡せて、広い庭を散策する際の休憩所として最適だ。
東屋に着き、腰を下ろして休んでいると、しばらくしてお茶の用意を持った侍女を従えて歩いてきたのは……少し緊張した様子の結華だった。
「父上、母上っ!」
「っ…結華?」
結華の姿を見た信長様は、一瞬苦々しい顔で私をチラッと見られたけれど、すぐに話の続きに戻られたようだった。
「結華、お茶ありがとう!」
「はいっ、母上……あっ、えっと、新九郎さま…どうぞ…」
「ありがとうございますっ!えっと…結華姫様?」
(ん?これは…いい感じ?)
「結華、新九郎くんにお池の鯉を見せてあげたら?立派な錦鯉がたくさん泳いでるのよ」
「わぁ、本当ですか…見たいですっ!」
「あっ、はい…母上」
二人仲良く連れ立って池の方へ歩いていくのを満足げに見守っていると、信長様と話していた彌木殿も穏やかに微笑んでいる。
「いやいや、お可愛らしい姫様ですな。信長様によく似ておられて聡明そうなお顔立ちでいらっしゃる。将来は引く手数多でしょうなぁ」
「…………」
信長様は、複雑そうな顔を隠そうともせず、褒め言葉にも無言を貫いておられた。
さすがに態度には出されないが、内心は気が気ではない、といったところだろうか…池の方をじっと見ておられる。