第71章 商人の町
茶室に案内されて中に入ると、既に私達以外の客は揃っていたらしく、皆、口々に信長様に挨拶をしている。
商人たちと気さくに話をしている信長様は、今日の茶会の正客を務めることになっているようだ。
和やかな雰囲気のまま、茶会は進められていく。
最初は緊張していた私も、芳しく豊かな香りの茶を頂くと、ふわりと穏やかな心地になり、次第にこの場の雰囲気を楽しめるようになってきた。
ひと通りの茶事が済むと、信長様と商人たちは、商いのことや京の公家衆の動向などの話をし始める。
私はそれを信長様の横で聞きながらも、やはり何となく落ち着かなく……手持ち無沙汰のまま、床の間の花入れなどをぼんやりと見ていた。
「奥方様…」
呼びかけられて、はっとして見ると宗久殿がニッコリと微笑んでいる。
(いけない、ぼんやりしちゃってた…)
「もう一服いかがですかな?」
「あっ…はい、頂きます!今井様の点てられるお茶、とっても美味しいですっ」
「ははっ、これは…嬉しいことを言ってくださる。私のことは宗久とお呼び下され。奥方様にお会いするのを堺の者は皆、楽しみにしておったのですよ。
あの信長様が、城の奥深くに大事に隠しておられる天女様だと、大層な評判で…」
「ええっ…そんなこと…」
(それって…信長様が私をお城に閉じ込めてる、みたいな話になっちゃってる??)
「あ、あのぅ、信長様は別に私を隠してるわけでは……」
「そうなのですか?大坂のご城下でも、奥方様にはなかなかお目にかかれぬ、と商人仲間が嘆いておりましたもので……」
(う〜ん…そんな噂になってるなんて知らなかった…確かに、私は信長様と一緒でないと城下には行けないから、皆にそんな風に思われてるのかも……)
信長様が私を大事にして下さっているのはよく分かる。
口に出しては仰らないけど、私が危険な目に遭わぬように自分の目の届く範囲に置いておきたい、そう思っておられるのは、何となく気付いていた。
それでも…私はそれを束縛だと思ったことはなかった。
信長様と一緒にいられる時間が大切で、それだけで幸せだったから……
(そう言えば以前、信長様に『今の生活は窮屈ではないか』と問われたことがあった…民たちにこんな風に噂されていることを気にしておられたのかしら……)