第68章 おあずけ
心の中で溜め息を吐きながらも、手鏡を手に嬉しそうに紅の具合を確かめる愛らしい姿に、胸の内がふわりと暖かくなる。
(女の笑顔ひとつで、これほどに満たされた心地になれるとは……朱里はいつも、俺に未知の感情を教えてくれる。真に得難い女だ)
「………信長様、あのっ…」
呼びかけられて、はっとして見ると、嬉しそうに微笑んでいたはずの朱里の顔が、眉尻を下げた困ったような顔になっていた。
「………どうした?」
「っ…私っ…貴方にお話ししなければならないことがあります。
あのっ…私っ…何度も夜伽をお断りして…っごめんなさい…理由も言わなくて…怒っていらしたでしょう?」
「……あぁ…そのことか。何か訳があるのなら言え。隠し事はせぬ約束だろう?」
「っ…はい…ごめんなさい。あのっ、私…子が…お世継ぎが欲しくて…」
「……………は?」
(子が欲しい?ならば何故、おあずけを食わされる?交わりが多ければ多いほど、身籠りやすいのではないのか??)
懐妊の仕組みなど詳しく知らん。
朝でも晩でも、朱里が愛おしいから抱く、それだけだったのだが…
「あ、あのっ…交わりが多いと、そのぅ、殿方の、こ、子種が薄くなって身篭り難くなる、って聞いてしまって…っ…だから私っ…信長様に我慢してもらって、こ、濃い子種を…」
「ゔっ……貴様っ…」
茹で上がったような真っ赤な顔になりながらも、大胆なことを言う朱里に開いた口が塞がらない。
(濃い子種だと?まったく…何ということを考えるのだ…)
「ご、ごめんなさい…っ…あの、呆れてます?恥ずかしいことばっかり言っちゃって…嫌いになった?」
しゅんっと項垂れて肩を落とす。
叱られた仔犬のようで、なんとも可愛い。
「馬鹿なことを…嫌いになど、なるわけがなかろうが…」
だが、この問題が朱里をそこまで思い詰めさせているのかと思うと、胸が痛む。
「朱里、子のことは自然に任せるしかない。よしんば次の子を身籠ったとして、それが確実に男子であるという保証もないのだ。
迷信でもなんでも縋りたいという気持ちは分からんでもないが……思い詰めるのも良くないぞ?」
「っ…は、い……」
唇をきゅっと引き結び、俯いてしまった朱里の身体をふわりと抱き締める。
「あっ…信長様っ…?」