第68章 おあずけ
「恥じらう貴様は見ていて飽きないが、今朝は残念ながら、ゆっくりも出来ぬ」
「あっ……はい…」
年明けの朝、色々としなければならないことを思い出したのか、朱里は急に真面目な顔になって、乱れた夜着を掻き合わせながら起き上がる。
もう少しこのまま、朱里との甘い時間を過ごしていたかったが、仕方あるまい。
名残を惜しみながらも、二人して寝所を出て、身支度を整える。
先に着替え終わった俺は、ふと、文机の上に置かれた包みに目がいった。
(ああ…すっかり忘れていたな…)
「朱里、これを貴様にやる」
「っ…えっ…?あ、あの…これ、は…?」
差し出された包みと俺の顔を交互に見遣り、困惑した様子の朱里。
「開けてみろ」
「あっ、はい………っ…これ…」
包みを開くと、そこには金細工の施された小さな器に詰められた紅が入っていた。
「信長様っ…これ…紅なんて、どうして?」
「ん、昨日城下に行った折にな…貴様に似合いそうな色合いだったゆえ…」
夜伽のことで何となくギクシャクしてしまっていた関係
仲直りのために女に贈り物、などと考えたことも、したこともなかった俺が、気がつけば迷うことなく買い求めていた。
俺が選んだ紅をさして嬉しそうに笑う朱里が見たい、と思った。
「貸せ、俺がさしてやる」
「えっ…や、でも…あっ…」
朱里の手から半ば強引に金細工の器を奪うと、蓋を開ける。
鮮やかな真紅の色味は、妖艶な大人の女を思わせる。
光る粉でも含まれているのだろうか、キラキラと輝いている。
小指の先でひと掬いすると、朱里の方へ向き直る。
(っ………)
恥じらいながらも、軽く目を閉じて唇を少し前に突き出すようにして待っている朱里の姿は、この上なく唆られる。
煩く騒ぐ心の臓の音が聞こえはせぬかと思いながら、小指の先を滑らせて朱里の唇に紅をさしていく。
「っ……あっ…んっ…はぁ」
朱里の口から悩ましげな吐息が漏れて、俺の指先を擽る。
真紅の紅をさした姿は、いつもより妖艶さを増している。
「ああ…思ったとおり、よく似合っておる」
(くっ…これはまずかったかもしれぬ…こんな色っぽい姿で大勢の男どもの前へなど、出せぬわ)
「ありがとうございます…嬉しいっ…」
ニッコリと無邪気に微笑む姿は、無防備すぎて危うい……
(また一つ心配事が増えたな…)