第68章 おあずけ
「結華、世継ぎというのは男子がなるものだ。だから、結華は織田の世継ぎにはなれない。
けれど、父はそれでいいのだ。父は結華が大好きだから、ずっと一緒にいてくれるだけで嬉しい」
「父上っ…結華もっ!結華も父上が大好きっ。ずーっと父上と一緒にいたいよっ!」
「結華っ…」
(あぁ、可愛い…可愛過ぎる……絶対、嫁には出さん)
結華の愛らしさに身悶えながらも、信長は心の内で小さく溜め息を吐く。
自分の後継問題は、いつまで経っても問題になるのか、と。
本能寺で俺が死んだと噂が流れた際も、跡継ぎがおらぬことで家臣達の結束が図りにくかった、と聞いている。
だが…こればかりは人の手ではどうにもなるまい。
自然の摂理に逆らうことなど、できようはずもない。
(俺自身は、結華の父になれただけで、十分満たされているのだがな……)
朱里と出逢い、子を持って、自分自身、随分変わったと思う。
幼子を相手にしていると、何事にも寛容になる。
気持ちに余裕ができる、ということだろうか。
だが……昨夜は…我ながら大人げなかったかもしれない。
今朝も何となく気まずかった。
朱里のことになると、途端に気持ちに余裕がなくなるから、おかしなものだ。
想像を超えて翻弄されることすら、嫌ではない。
むしろ心地良いとさえ思えることもある。
(さて…今宵はどのように愛でてやろうか…何年経っても、あやつへの煩悩は尽きぬわ…)
可愛い娘の手を引いて、人で溢れる城下の通りをゆっくりと歩みながらも、信長の心は既に、愛しい妻のことに囚われているのだった。