第68章 おあずけ
信長は、一瞬見せた悩ましげな表情を、まるでなかったかのように不敵に笑ってみせる。
「喧嘩などしておらん。謁見の場に朱里を出すのが心配なだけだ。
これほど多くの来客となれば、目が回るほどの忙しさとなろう。
朱里が疲れてしまわぬかと案じておるだけだ」
「朱里は責任感が強いですから…普段から少々頑張り過ぎのところがありますし。御館様の妻として、しっかり務めねば、という思いがあるのでしょう……少し心配ですね」
「ん…」
(まぁ、全ての席に出ずともよいだろう。なるべくなら、朱里を他の男の目に晒したくないしな…)
その後、謁見の打ち合わせを二、三してから、秀吉は退出していった。
「はああぁ〜」
秀吉を見送った後、信長の口から大きな溜め息が漏れる。
それは、心の内のもやもやしたものを全て吐き出すかのような溜め息だったが、そうかといって、すっきりしたわけでもない。
思うのは朱里のことだ。
ここ数日、これといった理由もなく夜伽を断られている。
体調が悪いのかと聞いても、そうではないと言うし、全くもって訳が分からない。
男の力で強引にしてしまうこともできるが、朱里を傷つけてまでしたいわけではない。
(せめて理由だけでも言ってくれれば、これほど悩まずに済むというのに……)
「はあぁ……」
何度目か分からぬ溜め息は、吐けども吐けども、信長の心を重くするばかりだった。