第68章 おあずけ
「……御館様…あの、御館様?あのぅ……」
何度目の呼びかけだったのだろうか、己を呼ぶ声に、ふっと意識を浮上させた信長は、目の前で心配そうにこちらを窺う秀吉と目が合って、ゆっくりと思考を戻す。
(……あぁ、そうだ、秀吉から年始の謁見の予定を聞いていたんだったか…)
「秀吉、続けろ」
「あ、はぁ…では…」
秀吉がつらつらと読み上げる、気の遠くなるほど長い予定を聞く。
(いつも以上に多いな。新しい城を披露する良い機会かと思っていたが、これほどに謁見希望が多いと正直面倒な……)
「………以上です、御館様」
ふぅっと息を吐くと、読んでいた書面を丁寧に折り畳んでから恭しく差し出す。
それを無言で受け取りながら、俺もまた溜め息を吐く。
「これほど多いとはな…一人一人挨拶を受けておっては終わらんぞ?複数人ずつ、何回かに分けて行うように致せ。
その後で、茶席を設けるようにしろ。新しい茶室を見せてやろう。俺が茶を点てる」
「はっ!……御館様自ら茶を点てられるのですかっ?それは…皆、喜びますでしょうね」
秀吉は自分のことのように嬉しそうに言う。
「謁見には、例年どおり朱里も同席させますか?」
「ん…ああ…そうだな…」
僅かに表情を曇らせた信長の、その些細な変化に気付かぬ秀吉ではなかった。
「どうかなさいましたか?何か問題でも……?」
「ん…………」
そのまま黙ってしまった信長を見て、秀吉は益々心配になってくる。
(朱里と何かあったのだろうか……
この前、朱里が家出した時はどうなることかと心配したが、すぐに仲直りされて…その後は、夜も日も明けぬほどのご寵愛ぶり……正直、朱里の身が保つだろうかと心配するぐらいの仲睦まじさだったのだが……)
「御館様?喧嘩でもなさいましたか?」
主君の私事に首を突っ込み過ぎるのもどうかと思ったが、御館様のことになると、どうにも心配でならない。