第66章 信長の秘密
宛名が書かれた外包みを外し、中から文を取り出してゆっくりと開いていくと、上品な香の香りを一層強く感じる。
(沈香か…悪くないな…母上らしい)
昔の母は、もっと甘い花のような香りを纏っていたような記憶があるのだが、あれは父の好みであったのかもしれない。
母とは、年に数回、こうして文のやり取りをしている。
伊勢国安濃津城で、弟の信包や妹の市とその娘達とともに暮らす母とは、幼き頃は互いに理解し合えず冷え切った関係であったが、朱里との婚姻を機に、母の真意を知ることになり、徐々にわだかまりも解けていった。
結華が産まれてからは、母も時々安土を訪れるようになっていたのだが、大坂へ城移りして以来、予期せぬ出来事が重なり、しばらく文も出せず終いだった。
伊勢にも『信長は本能寺で死んだ』という噂が広まり、母の落胆ぶりは側で見ていても辛いほどだった、と信包からも聞いていた。
文を開いていくと、母の流麗な文字が目に入ってくる。
息災か、本能寺の襲撃で怪我はなかったか、新しい城はどうか、と俺や朱里を案じる言葉がいくつも書かれている。
その文字は一片の乱れもない見事な筆致であったが、それとは裏腹に、文には母の不安や心配を表す言葉が書き連ねてあった。
(っ…母上っ…)
らしくもなく、思わずグッと胸に迫ってくるものを感じてしまい、朱里に気取られぬよう小さく息を吐く。
揺れる心を落ち着かせて文を最後まで読み終わると、母の言葉を一つ一つ噛み締めるように胸の内に収めた。
ふと、傍らに黙って控える朱里を見ると、どこか心配そうな顔で俺と文を見遣っている。
「……どうした?」
読み終えた文をそのまま渡してやりながら問いかけると、朱里は両手で大事そうに受け取りながら、複雑な表情でぎこちなく微笑んだ。
「……信長様がお辛そうに見えたので…良くない便りでしたか?」
「いや、そういう訳ではない…此度の件で母上には随分と心配をかけたが…。大坂城へも来たい、と書いてあるな」
「………はい、結華の『帯解きの儀』の折には是非会いたい、と書いてありますね」
「『帯解き』か……俺にはよく分からんが……もうそんな年頃なのか?」
「年が明ければ、結華は六つになります。数え七つで帯解きの祝いを致しますので、ちょうど来年がそうですね。
母上様が来て下さると聞いたら、結華はきっと喜びますよ」