第61章 試練の時
「本能寺からは少し離れたところにあるが、浄土宗の寺で帝も帰依されておる寺だ。
住職の清玉(せいぎょく)上人は、織田家がまだ尾張一国のみを治めていた頃から縁の深いお方で、俺とも昵懇の仲だ」
「そうなのですか……」
初めて聞く話ばかりで戸惑いを隠せない。
信長様は、御所だけでなく京の寺社をも手厚く庇護されているようだが、阿弥陀寺という寺はその中でも特別な寺なのだろうか……
「阿弥陀寺で御館様のご無事のお姿を拝見した折は、さすがの俺も胸が詰まって声が出ませんでしたぞ?」
「ふっ…光秀、貴様のことだ、俺が阿弥陀寺へ向かうことは予想していたのだろう?」
(光秀さんが神妙な顔で言うから聞き逃しそうになるけど……ということは、光秀さんは早い段階で信長様のご無事を知ってたってこと?なんかモヤモヤするな……)
「すぐに大坂へ戻るつもりだったが…面白いことに、俺が本能寺で死んだという噂が瞬く間に広がって、日ノ本に不穏な風が吹き始めた。
人の心とは弱きものよ。些細なことでも揺らぐ。
ならば、この噂を利用して俺の死を望む者を炙り出し、この機に徹底的に叩くことにしたのだ。
光秀は京と大坂を行き来し、俺の命令を受けて動いていた…秘密裏にな」
「っ…じゃあ、西国での謀叛やこの奇襲は……」
「予想していた結果だ」
淡々とした信長様の口調に、全身の力が抜けるような心地になる。
(信長様がご無事でよかった…生きていて下さって…もう一度逢えた、それだけで嬉しかった。
でも……それならそうと早く知らせて欲しかった…そう思うのは私の我が儘なんだろうか…)
「事情は分かりました。ご自分の死すら上手く利用される手腕はさすが信長様、というべきですかね」
「…………怒ってるのか、家康?」
「…………別に」
氷のように冷たい家康の視線をまともに受けても、信長様は全く意に介さない様子で、互いにじっと目線を合わせている。
そのまま息が詰まるような長い沈黙が流れて………
先に視線を逸らしたのは家康の方だった。
「っ…とにかく無事でよかったです。あんたの死を望む人間は日ノ本にもまだいるんでしょうけど、あんたに死なれちゃ困る人間もまた、それ以上にいるってこと、忘れないで下さい」
「家康……」
「それと……朱里を泣かせたことは、たとえ信長様でも許されませんから…」