第60章 京へ
突然、足元の紅い血溜まりが紅蓮の炎へと変わり、蛇が大地をのたうち回るように炎が暴れ、辺り一面を火炎が駆け巡っていく。
「っ…やっ…火が…どうして…あぁ…」
激しく立ち上った炎の柱が、信長様の身体を一瞬にして包み込む。
感情が消えたようだったその顔が、驚愕と苦悶に歪む。
助けようと慌てて伸ばした私の手は、どういう訳か、信長様に届かず、炎は激しさを増していき、信長様の姿は見えなくなる。
「いやぁぁー信長様ぁー!」
「っ…朱里っ!」
「母上っ!」
「姫様っ…」
「っ…あ………家康…結華…千代……?」
目を開けると、そこには炎などなく、柔らかな褥に横たわる私を、心配そうに覗き込む家康達がいた。
「あ…ここは…私、どうして…」
「……ここは大坂城のあんたの部屋。あんた、城門前で倒れたんだよ。大丈夫?随分とうなされてたけど……」
家康は、朱里の脈を取りながら、さりげなく顔色を窺っている。
「ありがとう、家康………夢を、見たの。信長様が…炎に、包まれて……っ…あぁっ…」
頭の中に、夢で見た光景が鮮明に甦ってきて、ぎゅっと胸が締めつけられたように苦しくなった。
思わず両手で顔を覆う私に、結華が縋りつく。
「母上っ…」
「っ…結華っ…ごめんね…ごめんっ…」
(全部夢ならよかったのに…本能寺での何もかも…全部…)
「朱里…こんな時にごめん…でも、いずれ分かることだから、あんたには今言っとくよ。
本能寺の焼け跡からは、信長様の遺骸は見つかってない。秀吉さんも同様だ。
でも…二人が生きて寺から出た痕跡もまた、見つかってない。
毛利軍も、元就の所在が分からなくなって、一旦兵を引いたらしい。
ただ、本能寺で信長様が襲われたことは、あっという間に各地に広まってしまって…信長様が亡くなった、っていう噂になってる。
もう既に、不穏な動きを見せてる大名もいる。
このまま信長様が生死不明のままだと…遅かれ早かれ各地で謀叛が起きるだろう。
……あの人の求心力は絶大だったから…それが失われた今、天下は揺らいでる」
淡々と事実を述べる家康の声は、いつもどおり冷静で落ち着いたものだったけれど、その表情は時折、苦痛に歪められたように辛そうだった。
(家康も辛いんだ…家康にとって信長様は兄上のような方だもの…)