第60章 京へ
私を半ば引き摺るようにして本能寺を出た光秀さんは、敵側の包囲をかい潜ると、どこからか馬を引いてきた。
「朱里、乗れ。毛利に気付かれる前に京を出る。大坂へ戻るぞ」
「っ…いやっ、光秀さん、待って…信長様を置いては行けないっ」
「御館様は大丈夫だ、秀吉もお傍におる。このままここに止まってはお前の身が危うい。
…それは、御館様の望まれるところではない…そうだろう?」
「っ…でもっ……」
ードォンッ!
「!?!?」
突如、大地を震わせるような爆音が周囲に響き渡り、空に紅蓮の炎が立ち上がる。
夜明け近くの薄闇の空が一瞬にして茜色に染まったようになり、寺の周囲を紅く照らしていた。
「っ…本能寺がっ…燃えて…あぁ…」
「くっ…御館様っ…秀吉っ…」
予想外の成り行きに、私と光秀さんは声を失い、その場に立ち尽くす。
その間にも本能寺から上がった炎は更に勢いを増しており、バチバチと火が爆ぜる音が辺りに響いている。
呆然と炎を見つめる私達のそばに、音もなく黒い影が走り寄る。
「……光秀様っ…」
「久兵衛か…」
「洛外の軍勢は、毛利の足止めに遭っており、御館様との合流はすぐには無理かと……この場は一旦、奥方様を早く大坂へ…」
「っ…ああ…行くぞ、朱里っ」
「やっ…光秀さんっ…本能寺がっ…火がっ…お願いっ、信長様を助けてっ…」
「朱里っ!」
「あっ…」
動揺して取り乱す私を、光秀さんはいきなりぎゅっと強く抱き締める。
腕の中に閉じ込められて……人肌の温かさを感じていると、動揺していた心が少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「朱里…御館様を信じろ。御館様は、簡単にお前を一人になさるような御方ではない」
「っ…うっ…光秀さんっ…」
涙が溢れて頬を伝う。
泣いてはいけない、ここで我が儘を言ってはいけない、光秀さんの言うとおり、私は早くこの場を離れなければいけないのだ、と何度も何度も自分に言い聞かせる。
(信長様っ…どうか、どうか、無事でいて下さい。
最期の時までずっと一緒だと言ったでしょう?
もしも貴方を失ってしまったら…私はきっと耐えられない。
私を…結華を……置いていかないで……)