第60章 京へ
いつの間にか目頭が熱くなって、涙が滲み出していた。
「っ…そんな顔をするな。
またすぐに逢える…必ずだ、約束する…」
唇にふわりと触れるだけの口づけを落とすと、信長様は私の身体を勢いよく突き放した。
「っ…行け、光秀っ!」
「はっ!」
「やっ、いやっ、やだぁ…離して、光秀さん!っ…信長様ぁ…」
(…泣くな、朱里…貴様を泣かせたくはない…)
嫌がる朱里を引き摺るようにして、光秀が秘かに本能寺を出た後、手早く武装を整えた信長は秀吉と共に、僅かな手勢をまとめていた。
「……秀吉、寺の者は逃したか?」
「はっ、御命令どおり、皆、寺の外へ出ました」
寺にいる手勢は、信長直属の精鋭の馬廻衆とはいえ、その数は100名ほど。人数的には織田軍は手薄と言えよう。
(元就の率いる軍勢がどれだけの数かは分からぬが、この京でそれほど多くの兵を秘密裏に動かせたとは思えない。
ならば、此方にも勝機はあるはず……)
その時になって、遠くの方でパチパチと火が爆ぜる音が聞こえ、辺りにきな臭い匂いが漂い始めたかと思うと、いきなり『ドンっ!』という爆発のような音がして、一気に火柱が上がった。
「っ…元就め、寺に火をかけおったか…」
「くっ…御館様っ、火の回りがやけに早いです…まさか…油を…」
「ふっ…奴ならやりかねんな…謀神め、やってくれるわ」
秀吉と話している間にも、矢が次々と雨のように降ってくるのを刀で薙ぎ払いつつ、襲い来る敵を一刀のもとに斬り伏せていく。
だが、斬っても斬っても、次々に現れる敵はさながら蟻の群れのようで……まったく埒が開かない。
火はあっという間に寺内を駆け巡り、轟々と激しい音を立てて燃え広がっていて、信長達のいる所へも、火が起こす熱風が吹き込んできていた。
「っ…くっ…」
油を含んだ黒々とした煙が視界を覆う。煙が目に染みて、僅かに足元がぐらついた、その時……横から鋭い白刃が信長を襲う。
「御館様ーっ!」
秀吉の叫ぶ声を遠くに聞きながら、信長は無意識のうちに刀を縦に構えて…襲い来る刃を全身で受け止めていた。
ーガキンッ!
刀同士が合わさって、ビリビリとしたひどい衝撃が、柄を握る手に走る。
「くっ………」