第58章 いざ大坂へ
「御館様は、お前が好奇の目に晒されぬようにする為に、輿に乗るよう言われたのだ。
御館様のお心を察して差し上げろ。
……まぁ、愛しいお前を他の男に見せたくない、という御館様の独占欲も多分に含まれていると、俺は思うがな…くくくっ…」
「み、光秀さんっ…」
「さぁ、早く輿に乗れ…すぐに出立するぞ」
「は、はいっ…」
突然『馬を降りよ』と言われて、理由も分からず、信長様に拒絶されたみたいに感じてすごく不安だった。
大坂の地が近づくにつれて高まっていた興奮と期待が、一気に崩れてしまったようで、輿へと向かう足取りも正直ひどく重かった。
でも……光秀さんの言葉を聞いて、心のもやもやが少し晴れた気がした。信長様の私への想いに触れた気がして、不安な気持ちが今は少し落ち着いている。
(私が天女みたいだとかいう噂は、眉唾ものだし恥ずかしいだけだけど……信長様が、私を、他の殿方の目に触れさせたくないって思ってくれてるのなら……どうしよう、それはすごく嬉しい…)
嬉しさのあまりか、自然と緩んでしまう頬を押さえながら、用意された塗り輿の方へと向かった。
黒漆塗りに金箔や螺鈿細工で装飾が施された見るからに豪華な塗り輿は、内部もまた豪華絢爛だった。
輿の内部は、全面が金箔打ちで、天井には草花が、側面には絵巻の一場面が色鮮やかに描かれている。
(あっ、これ、源氏物語だ…懐かしい、昔よく読んだんだよね)
今回の城移りでは、まだ一人で馬に乗れない結華も輿に乗っている。安土を出立する時に見たその輿も、豪華なものだったけれど、私に用意されたものは、それ以上に煌びやかなものだった。
この時代、輿の使用は、守護代など一部の身分の高い大名や公家、高貴な地位の僧侶など、限られた者にしか許されない特権だった。
信長様は天下人として、御所に昇殿も許され帝に拝謁もできる高貴な身分の御方だけれど、その妻子である私達までが、このような豪華な塗り輿を使うなんて……何だか畏れ多くて落ち着かなかった。
実際、これまで輿に乗る機会もあまりないまま子供の頃から馬に慣れ親しんできた私は、豪華な輿よりも馬の背に揺られる方が性に合っていた。
それでも、信長様が私の為に用意して下さった、その気持ちはやっぱり嬉しくて、多少居心地の悪い思いを抱えながらも輿の揺れに身を委ねたのだった。