第57章 光秀の閨房指南
「信長様、私、時々思うのです。あの日、貴方に出逢わなかったら私はきっと親の決めた縁組を黙って受け入れて、北条家の姫としてどこかの大名の妻になっていたんだろうな、って。
その縁組はきっと、私自身が必要とされているんじゃなく、北条家の姫が必要とされている縁組で、私はそれに従うしかないんだろう、って。
でも…信長様は北条家の姫としてではない私を欲しいと言ってくださった。
そのままの私を愛して下さいました。
信長様の妻としてこの安土のお城で暮らしていることは、私にとって窮屈でも退屈でもありません。
私は、貴方の妻になったことを後悔したことなんて一度もないですよ?」
「っ…朱里……」
「…信長様の方こそ…っ…そのっ…私が…妻でよかった…ですか……?」
「何?……どういう意味だ?」
それまで不安の色を隠さず揺れていた信長様の瞳がキラリと光って、射竦めるような視線が私に注がれる。
その視線の鋭さに怯みそうになりながらも、
「っ…だって…信長様はいつも余裕で…私ばっかり乱されて……本当は私一人じゃ満足できてないんじゃ……」
「なっ…待て、何故そんな話になる。俺がいつ、そんなことを言った?………言う訳ないだろう?」
「だっ、だって…信長様が私との閨で乱れられたことなんて、ないじゃないですかっ…私じゃ貴方を満足させられてないんじゃないか、って本当はずっと不安で…。
京や堺には、と、殿方が、よ、欲を発散させられる場所があるのだと聞いて、わ、私、心配で…」
「っ…貴様っ…」
信長様の瞳が驚いたように見開かれている。
どう答えてよいのかと、その瞳は戸惑いに揺れているようだった。
何か思案するように黙っていた信長様は、ひとつ溜息を吐いてからようやく口を開いた。
「……俺が満足していない、だと? そうだな…確かに満足してない、全然足りない」
「っ……」
きっぱりと言われた言葉に胸がツキっと痛む。
「………だが、足りないのは朱里、貴様だ。他の誰も貴様の代わりになどなれぬ。貴様以外の女など欲しいとは思わん。
俺は、貴様にだけ貪欲になるらしい…もっと、もっと、と際限なく欲しくなる。
満足できていないのか、と言われれば、そうなんだろうな」
「信長様…」