第56章 秀吉の縁談
俺がお市様に初めて会ったのは、御館様にお仕えし始めてまだ間もない頃だった。
御館様の少し歳の離れた妹姫
美形揃いの織田家においても、そのお可愛らしさは際立っていて、破天荒な言動で親兄弟とも距離を置いておられた御館様ですら、宝物の如く大事になさっていた姫だった。
俺のような身分の者には、決して手の届かない『高嶺の花』
恋仲になりたいとか妻にしたいとか、そんなことは大それた望みだと分かっていた。
お市様は、俺にとってはただ遠くから見つめるだけの憧れの存在だった。
だから…浅井家への輿入れが決まった時も、ただ黙って見守ることしかできなかった。
届かぬ想いだと分かってはいたが、それでも恋慕う気持ちは捨てられなかった。
せめて幸せになって欲しい…そう願う気持ちは浅井の裏切りによって儚くも壊されて……
大事に大事に守ってこられた妹姫を嫁にやったにも関わらず、浅井が自分を裏切ったという知らせを聞いた時の御館様の怒りと絶望は計り知れないものだった。
俺は……御館様に頼んで、小谷城攻めの先陣を務め、浅井家を滅ぼし、お市様の大事な人を死に追いやった。
自ら先陣を志願したのは、お市様を死なせたくない、その思いからだった。
振り向いてもらえなくてもいい…恨まれても構わない…ただ生きてさえいて下されば……
気が付けば、燃え落ちる城へと無我夢中で飛び込んでいた。