第55章 初恋の代償
翌日から私は自室に篭っていた。
首筋に付いた信長様の歯形の痣を、誰にも見られたくなかったし、高政にも信長様にも、どんな顔で会えばよいのか分からなかったから………
「はあぁぁ〜」
口から出るのは溜め息ばかり。今日ももう何度目だろうか。
(……信長様、すごく怒ってた…でも…黙って見張るなんて、私のこと、信じて下さっていなかったってことだよね…)
高政とは従兄妹同士で幼馴染、それ以上でもそれ以下でもない。
子供の頃は私も彼が好きだった……でも、大人になった今、私の中でそれは既に淡い初恋の思い出に過ぎないのだ。
思い出は過去のもの
高政のことは好きだ…でも、それは人として、友人としての好き。
信長様への好きの気持ちとは全然違う。
(なのに…彼に口づけられた時、私、嫌じゃなかった。拒否しないといけないのに、すぐに拒否できなかった……)
そのことが後ろめたくて、自分の気持ちに罪悪感があったからだろうか……信長様に見られていたことに動揺してしまい、逆にあの方を責めてしまった。
「ひどいのは、私の方だ……」
故郷への郷愁の念に駆られ、幼馴染との再会を無邪気に喜んでいた私は、知らず知らずのうちに信長様を傷つけてしまっていたのだ。
「………姫様、あの…」
呼びかける声にはっとして顔を上げると、千代が心配そうにこちらを見ていた。
「あ…ごめん、どうかした?」
「……あの、先程、高政様がお見えになりまして…これを姫様に渡して欲しい、と…」
千代は、おずおずと一通の文を差し出す。
「……高政が?」
文を受け取ると、千代は私に気を遣ってすぐに部屋を出て行く。
一人になって、文をそっと開いてみる。
『朱里へ
お前がこれを読む頃、俺は安土を発って小田原に向かっているだろう。
俺はお前に想いを告げたこと、後悔はしていない……でも、そのことでお前を苦しめてしまったな。ごめんな。
信長様のお前へのご寵愛の深さは、小田原でも評判だった。
だから、俺が信長様に敵わないことは最初から分かってたよ。
それでもお前に逢いたかった。逢って、直接想いを告げて…俺は、自分の気持ちに整理を付けたかっただけなのかもしれないな。
朱里、俺は今でもお前のことが好きだよ。だから…お前が幸せならそれでいい。
俺は、俺の居るべき場所でお前の幸せを祈ってる。
ごめんな、ありがとう』