第55章 初恋の代償
この乱世の世では、同盟の証として人質を交換することはどの国でも当たり前のように行われていた。
女子ならば婚姻という形で
男子ならば養子や客分といった形で
だから人質といっても拘束される訳ではなく、寧ろ子供の人質は大事に扱われ、学問や武術を学ばせてもらうなど、その待遇は決して悪くはないという。
同盟が破棄されるような万一の事態が起こらなければ、身に危険が及ぶこともそうない。
………………でも…人質なんて…
「……越後に行って……いつ戻れるの?」
………聞かなくても答えは分かっている…でも…
「っ…分からない、何年先になるか…一生戻れないかもしれない」
「そんな………」
北条家は関東一の大国だったが、軍神と崇められている上杉謙信が治める越後からの侵攻は常に脅威だった。
此度の上杉との同盟が上手く成立すれば、国のため、民のためにもなる。
高政は皆を守るために越後に行ってくれるのだ、と頭では分かっているけれど………心が付いていかない。
私の手を握る高政の手に、ぎゅっと力が込もる。
離さない、というかのように強い力が込められたその手は、少し震えていた。
「朱里、俺…強くなって、上杉様に認めてもらって……絶対戻ってくるっ!だから…俺が戻るのを待っててくれないか?」
「っ…うんっ!待ってるっ!高政が戻ってくるまで、私、どこにも行かないで待ってるからっ!」
「朱里っ!」
お互いの手をぎゅっと握り合って、私達は約束をした。
その手はもう震えていなかった。
その日から数日後に、高政は越後へと旅立っていった。
見送りに出た私は、大きな声を上げて泣いてしまい、そんな私を高政は困った顔をして見ていた。
子供だった私は自分では分かっていなかったけれど、多分私は高政のことが好きだったんだと思う。
それからまた数年経って………私は信長様に出逢い、安土に行くことになったのだ。
結果的に、私はあの日の高政との約束を守れなかった。
どこへも行かない、小田原で待っている、とそう約束したのに、私は高政に何も告げずにいなくなったのだから。
それは、信長様の妻となって愛される日々を過ごす中でも、今でもずっと気にかかっていたことで……
(高政はあの約束を、大人になった今でもまだ覚えているだろうか)