第54章 記憶
「はぁ〜」
今日何度目か分からない溜め息を吐いた私は、すっかり冷めてしまったお茶を小さく啜る。
「…奥方様、どうかなさったんですか?さっきから溜め息ばかり吐かれて…今日は珍しくお一人でお越しですし…」
馴染みの茶屋の女将さんは、心配そうに声をかけてくれる。
信長様の記憶を取り戻す方策がなかなか上手くいかず、行き詰まってしまった私は、息抜きにと城下へ来ていた。
このまま記憶が戻らなかったら…という不安は日に日に強くなっている。
それと同時に、信長様の心も分からなくなっていた。
身体を一つ一つ奪われていくたびに、それが愛のある行為なのか、戯れなのか、段々と分からなくなっていて……乱れる自分を抑えることもできなくて、信長様に触れられることが恐くなっていた。
茶屋の女将さんにお礼を言ってお店を出ると、既に西の空に日が落ちかかっていた。
(……………いけない、ゆっくりし過ぎたみたい。日が暮れる前にお城に戻らないとっ……)
慌てて城に戻るために踵を返した私は、背後から誰かに乱暴に腕を掴まれて、強く引っ張られた。
(な、なにっ………!?)
「…お前、信長の奥方だな?」
「………!?」
振り向くと、そこには見覚えのない男の姿があった。
「っ、だ、誰ですか?」
「お前に名乗るつもりはない。信長への恨みを晴らせれば、それでいいからな」
「恨み………?」
「そうだ、痛い目を見たくはないだろう?大人しくこちらへ来いっ!」
「………っ!いやっ、離してっ!」
「っ…この女っ…」
咄嗟に懐剣を構えた私に男が怯んだ隙に、男の脇をすり抜けて城へ向かって駆け出す。
(っ…どうしよう…このままじゃ、すぐ追いつかれちゃう…)
「この女っ、生意気なっ!」
男は街中にも関わらず、刀を抜いており、背中のすぐ近くまで刃が迫っていた。
(っ…斬られるっ!助けて…信長様っ…)
ーガキンッ!
恐怖に目を閉じた私のすぐそばで、耳をつん裂く激しい金属音が響いて………
恐る恐る目を開けると、目の前に見慣れた大きな背中があった。
「っ…信長様っ!」
「信長っ!自ら出てくるとは…はっ、これは都合がいい。お前に無惨に焼き殺された同胞達の恨み、思い知るがいい…覚悟しろっ!」