第52章 追憶〜光秀編
二度目に信長様にお会いしたのは、俺が足利将軍家の幕臣となり、義昭様を上洛させる為に織田家に助力を願うべく、尾張を訪れた時だった。
その頃の俺は、幕府を再興すれば将軍の名の下に各地の大名が一つになり、戦のない平和な世を取り戻せると思っていたのだ。
(よもや足利将軍があのように頼りないものだとは思ってもみなかったがな)
信長様は道三様亡き後の美濃を平定し、尾張と美濃の二国を治めながら、その志は天下を見据えておられた。
初めて言葉を交わした時、『大きな国を作れ』という道三様の最期の言葉は信長様にも確かに引き継がれていたのだと、はっきりそう感じた。
信長様は実は家臣や弱き者にお優しい。
一向一揆や延暦寺に対する苛烈な仕置きのせいで、世間では血も涙もない鬼だ魔王だ、などと言われているが決してそうではない。
戦場では家臣や末端の兵を使い捨てにする大名が多い中で、信長様はそのようなことはなさらない。
時に、兵を守る為に自ら矢面に立たれることもある。
俺も信長様に何度も命を救われている。
石山本願寺との天王寺砦の戦いでも俺は信長様に救われた。
俺が初めて死を覚悟した戦だった。
それまでどんな苦難に遭っても死を意識したことなどなかったが、一向宗との戦いでは心が乱れることが多かった。
門徒の多くは民百姓であって、訓練された武士ではない。
武器の扱いにも不慣れで、戦術というほどのものもなく、ただ闇雲に突き進んでくるのみだ。
だが、仏の教えに殉じて死することを恐れない、死兵と化した者と戦うことは、心底恐ろしいものだった。
『南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏』と呪文のように念仏を唱えながら竹槍を手にする一向宗門徒たちに、あっという間に砦を取り囲まれた。
その数、一万五千。
撃って出るにも籠城するにも圧倒的な兵力差で、織田軍は進退窮まった状態だった。
そんな我らの窮地の知らせに、京におられた信長様は躊躇うことなくすぐに駆けつけて下さった。
急な出陣であった為、兵は僅か三千しか集まらず、それでも信長様が先頭に立って戦われたおかげで、砦を囲んでいた本願寺の兵は散り散りに蹴散らされ、形勢は一気に逆転した。