第52章 追憶〜光秀編
信長様に初めてお会いしたのは、俺がまだ生まれ故郷の美濃国にいた頃だ。
その頃、美濃国は斎藤道三様が治める国で、尾張国とは信長様の御父上、信秀様の代から争いが絶えなかった。
奪ったり奪られたり…互いに得るもののない戦を繰り返している両国の間で、漸く同盟を結ぶ話が持ち上がり、信長様と道三様が会見を持たれることになったのだ。
道三様の家臣であった俺も会見に同席することを許され、会見の場である正徳寺に同道していた。
そこで初めて『尾張の大うつけ』と呼ばれていた信長様に会った。
何というか…想像の遥か上を行くお人だと思った。
人の心を掴む才のある方、自分自身の見せ方を心得ている方……そして、揺るぎない大きな信念を持った御方だと、そう思った。
斎藤家の一家臣であった俺は直接話などできる訳もなかったが、道三様は信長様をいたく気に入られ、実の息子以上に期待をかけられたようだった。
討死の間際には『信長に美濃を譲る』とまで書き残されるほどに。
道三様が息子の義龍様と争われ、美濃は戦場となった。道三様に味方した明智家は美濃を追われ、俺は家も家臣達も失って流浪の身になった。
帰る国も大切な者も失った俺は、子供らに学問を教えたり、武家に鉄砲の指南をしたりしながら各地を転々とした。
武士としての仕官が叶わず、それこそ人には言えぬほど困窮した暮らしぶりの時もあった。
口に入れられるものなら味など関係なく何でも食した。
そのせいか、今でも、食事は生きる為の必要最低限のものとしか思えない。
(俺の食事への無関心ぶりで、政宗にはいつも苦労をかけているようだが…こればかりは仕方がない)
戦が起これば苦しむのはいつも民や百姓だ。
田畑を荒らされ家を焼かれる。
男は戦に駆り出されて怪我をし、運が悪ければ命を落とす。
女子供といえど容赦はない。
武士が己の立身出世の為に戦をする一方で、弱い者はいつも虐げられ、踏みにじられるのだ。
戦のない世を作りたい。
戦で大切なものを失う者がなくなるように。
誰もが等しく思うままに生きられる世の中にしたい。
道三様は『大きな国を作れ』と仰った。
誰にも手出しができぬほどの大きな国を、さすれば戦のない世になるだろう、と。