第52章 追憶〜光秀編
天主へ続く階段を静かな足取りで昇りながら、光秀は様々に思案をしていた。
今宵、御館様は政務が多忙なため、朱里とは褥を共にされないと聞いている。
これから報告することは、あまりいい話ではない。
遅かれ早かれ、いずれ耳には入るだろうが、できればまだ朱里には聞かせたくはない。
(心の優しいあの姫は、御館様を案じて心を痛めるだろうからな…)
「…御館様、失礼致します」
「………光秀か、入れ」
少しの沈黙の後、入室の許可を告げる声を聞いて襖を開けると、既にあらかたの政務を終えられたのであろうか、うず高く積まれた報告書の山を横に、『地球儀』を見つめる御館様の姿があった。
『地球儀』
南蛮の宣教師から御館様に献上された異国の品
丸い、その形は、我らが生きるこの世界と同じなのだという
己が立つ、この水平に広がる地面が実は丸いなどという俄かには信じ難い話を、御館様は宣教師の説明を聞いてすぐに理解されていた。
「……またそれをご覧になっておられたのですか?」
「ああ、この地球儀というものは何度見ても飽きぬ。海の彼方には、これほど多くの国が存在するとは……これらの地にどのような人々が暮らしておるのか、と想像するだけで心が浮き立つ」
(異国の話をされる時の御館様は、本当に良い顔をなさる)
「……だが、異国の国々に比べて日ノ本はこんなにも小さい。
光秀、隣の明の国を見よ。このように広大な土地を、皇帝と呼ばれる力ある者が統べているという。
南蛮の国も大きい。船団を組んで海を越え、他国へやって来るだけの力と財力を備えている。
天下布武を成し、日ノ本はひとつになったとはいえ、本当の意味での『大きな国』にならねば、いずれこの異国の国々は脅威に変わるだろう」
「…御館様…」
相変わらず、この御方の『先を見る目』には驚かされる。
新しいものがお好きで、南蛮のものならば品物だけでなく風習でも宗教でも無条件に受け入れておられるように見えるが、実際には日ノ本にとっての利益と不利益とを的確に見極めて、異国の国々と渡り合っておられるようなところがある。
(御館様はいつも、我らが考えているその遥か先を見ておられる。
常人が考え及ばぬような先の先を見据えておられるのだ。
この御方は昔から変わらぬな…)