第50章 花惑い
太陽が西の空に沈み、夜の帳が降り始めた頃、安土城下の廃寺の周りを織田軍の少数精鋭の兵が取り囲む。
兵達からはピリピリとした緊張感と怒りの感情が満ちている。
光秀の配下の忍の調べにより、人攫いたちが潜んでいると判明した廃寺からは微かに明かりが漏れており、内からは複数人の気配が感じられていたのだった。
廃寺の向かいに位置する森の入り口付近で、信長は傍に控える秀吉、光秀に指示を出す。
「光秀、貴様は忍びどもを連れて裏へ回れ。
よいか、一人も逃すでないぞ。刃向かう者は容赦はいらん。
秀吉は俺と共に来いっ!」
「「はっ!」」
廃寺の周りに兵を配置し、秀吉と共に自ら正面から撃って出る。
光秀の調べにより、中の人数は既に分かっていた。
浪人崩れの人攫いどもが五人
携える武器も大したものでなく、恐れるに足りぬ者たちだった。
俺一人でも容易に倒せる相手であったが、光秀曰く、報せを受けた家臣達から『結華様をお救いしたい』という志願者が後を絶たなかったらしく、急遽少数を選んで廃寺の周りを囲ませたのだという。
「……秀吉、行くぞっ!」
返事を待つ前に、扉を勢いよく蹴破って中に入る。
「っ、うわっ、誰だ、お前ら…」
突然の乱入に、庫裏の中は蜂の巣を突いたような大騒ぎになり、男達は慌てて武器を手にするが……
(はっ、遅いな)
男達に注意を払いつつも、室内を素早く見渡すと……
「んんーーっ…うっ、んんー」
「っ…結華っ!」
部屋の隅に蹲る結華の姿を見た瞬間、カッと頭に血が上る。
怒りで身体に熱が灯り、思わず我を忘れて、結華の傍に立つ男に斬りかかっていた。
「御館様っ!」
秀吉の叫び声が聞こえた時には、男を一刀の下に斬り捨てていた。
斬った瞬間、男の身体から上がった血飛沫は、結華のすぐ目の前の床にパッと飛び散る。
(くっ…目隠しが不幸中の幸か…俺としたことが…軽率だったな)
「結華っ」
駆け寄って、その震える小さな体を抱き締めると、ギュウッとしがみついてくる。
猿轡を外してやると、溜めていたものを全て吐き出すかのように、大きく息を吐いて、
「っ…ち、ちちうえっ…ちちうえぇ…」
堰を切ったように、目隠しの下から涙が溢れて、何度も何度も俺を確かめるように呼んだ。