第50章 花惑い
安土城下の外れ、荒れ果てた廃寺の寂れた庫裏のなかでは、数人の浪人風の男達が車座になって腰を下ろしている。
「陽が落ちたら、夜闇に紛れて出るぞ。
しかし、思わぬ上玉が手に入ったな。
顔もいいし、着ているものも上物だ…どこぞの大店の娘か、武家の姫か?…どっちにしても、この容姿なら高く売れるぜ、くくくっ…」
残忍そうな顔の男が下卑た笑いを漏らしながら見る、その先には、目隠しと猿轡をされて、怯えたように小さくなって床に座らされている、一人の少女の姿があった。
売り物に傷が付いてはいけないから、と男達は少女の手足を縛ることはしなかったが、手足の拘束などなくても、幼い少女は恐怖で動くことも出来なかった。
城のなかで大事に大事に育てられた少女は、このような荒くれた男達などに出会ったこともなかった。
天下人の愛娘として皆に大事にされ、父や、秀吉、光秀といった頼もしくも優しい武将たちがいつも守ってくれていた。
城下へ一人で下りたのも初めてだった。
父上に叱られると思ったけれど、どうしてもあの花畑に行きたかったのだ。
父上と母上と三人で何度か行ったことのある場所
お花を摘んで、すぐに帰るだけだから大丈夫……そう思って、侍女達の目を盗んでお城を抜け出した。
(母上にあの白いお花をいっぱい持って帰ろうと思ったのに…)
母上が大好きな白いお花
お見舞いに渡したくて…
母上が嬉しそうに笑うお顔が見たかった
大好きな母上に早く元気になってほしかった
(元気になったら一緒に遊んでくれる、って言って下さったもん…)
一面に咲き誇る花に興奮して夢中で摘んでいて、気がつくと怖い顔をした知らない大人に囲まれていた。
びっくりしているうちに抱え上げられて、ここに連れて来られ、あっという間に目隠しと猿轡をされてしまったから、ここがどこかも分からない。
(お城の近くなのかな…これからどこかに行くのかな…お花、なくなっちゃった…)
(うっ…ちちうえっ…)
声を上げて大好きな父を呼びたくても、声も出せない。
怖くて悲しくて 心細くて 泣きたくて
閉ざされた真っ暗な視界の中で、結華はただ、大好きな父が自分に向けてくれる、あの優しい笑顔だけを頭の中に思い浮かべて、こみ上げてくる涙を必死に堪えようとしていた。