第49章 追憶〜秀吉編
本丸御殿の執務室に戻り、再び資料を広げ始めた秀吉は、先程見てしまった信長と朱里の艶めかしい姿が頭から離れず、騒ぐ鼓動を一人持て余していた。
資料の文字が全く頭に入ってこない。
(くっ…あれぐらいで動揺するなど情けないっ…しかし、朱里があんな声を出すなんて…)
安土に来た時から、実の妹のように世話を焼いてきた。
御館様の妻となり、御子を産んでも、俺を兄のように慕ってくれている可愛い妹分だ。
それが…御館様の手ひとつであんな色気のある声を……
(御館様のご寵愛が深いんだから、そりゃあれぐらいは普通なんだろうけど…いや、でも…なんか複雑だ…冷静でいられねぇ…)
俺だって人並みに女の経験はある。
自慢じゃないが、女の方から言い寄られることも多いぐらいだ。
女の喘ぎ声ぐらい…なんてことはない。
(だけど…あんなもん見ちまったら平気な顔できる訳ない……あぁ、参ったな…)
モヤモヤと複雑な思いを抱えて、開きっぱなしの資料を見るでもなく見ていると……いきなり襖がスパンっと勢いよく開いて信長が入って来た。
「っ…あ…御館様…」
「…………………」
信長はチラリと秀吉を一瞥すると、無言で文机の前に座り、中断していた報告書に目を通し始める。
そのまま双方無言で、パラパラと紙をめくる音だけが響き、時だけが過ぎていく。
至って冷静に政務を再開し始めた信長とは反対に、動揺を隠せない秀吉はチラチラと横目で信長の様子を見てばかりで、一向に仕事が捗らない。
「……秀吉、何だ?」
「あっ、いや…なんでも…ないです」
「……ふっ…今までどこでナニをしていたのか、と聞かんのか?」
「えぇっ!あっ…いや、それは…その…」
(っ…もしや御館様はご存知なのか??俺が盗み見していたことを)
その表情の変化を見ようと、恐る恐る窺うと、ニヤッと愉しそうに笑う御館様の姿があった。
「っ…!!」
全てを見透かすような紅玉の瞳と目が合って、焦りから思わず下を向いてしまった。
しかしすぐに、目を逸らすなど主に対して無礼な態度だった、と更に慌てることになる。
赤くなったり青くなったり、と落ち着かない様子の俺を見て、御館様はさも可笑しそうに、くくっ…と抑えたような笑い声を立てていらっしゃる。