第40章 萌芽〜めばえ
「……つわりが治まって体調が落ち着いたら…家康が言うには、ひと月ほど、ではないかと…」
「……ひと月か、長いな…」
憮然とした表情で不満げに漏らすのが、子供みたいで可愛くて…思わず自分から口づけを送っていた。
チュッ
「…朱里?」
「私…幸せです。信長様にこんなにも愛してもらって、愛された証を宿すことができて…」
お腹の上をそっと撫でながら、改めて身籠った喜びを実感していると、信長様の手が私の手に重なって一緒に撫でてくれる。
「……元気な子を産め。男でも女でも構わん。貴様が産む子なら…俺にとっては何にも代えがたい宝だからな」
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その日から私のつわりはどんどん酷くなり、安定的に食べられる物は水菓子だけという状態になってしまった。
「ゔゔっ…きもちわるい…千代〜」
「はいはい、姫様、どうぞ」
千代から白湯の入った茶碗を受け取り、小鳥のように少しずつ口を潤す。ひと息に飲み干したら吐いてしまったことがあるので、それ以来、そうしているのだ。
「姫様、昼餉は召し上がれそうですか?少しは何か口に入れられませんと……」
朝餉をほとんど食べなかった私を心配して、千代は背中を摩りながら聞いてくれる。つわりとは不思議なものだ。昨日まで普通に食べれていたものがいきなり食べれなくなるのだから。
(ほんと不思議…見た目は全然変わってないのに、身体にこんなに変化があるなんて…)
ぺったんこのお腹を着物の上から愛おしげに撫でながら、自分自身の身体の変化に、否応なく子の存在を実感する。
物想いに耽っていると、襖の向こうから廊下を大股で歩く足音が聞こえてくる。(……この足音は…)
「……朱里、俺だ。入るぞ」
「信長様っ!」
襖を勢いよくスパンと開けて入ってきた愛しい人の姿に、自然と顔が綻ぶ。信長様は、何故か片手にお膳を持っていた。
「調子はどうだ?食が進まんようだが…昼餉は食べられるか?政宗がさっぱりしたものを作ってくれたぞ。
それから……これなら食べられるのではないか?」
そう言って信長様はお膳の上から、南蛮のガラスの器に入ったものを手渡してくれる。
「…わぁ!これ…氷ですか?」
ガラスの器には、細かく削られた氷がこんもりと盛られて入っており、上から黒蜜がかかっているようだった。
暑い最中に、氷は目にも涼しげだった。