第37章 危機
着替えを済ませ、しばらくの間、脇息に凭れて待っていると、襖の向こうに光秀の気配を感じる。
「…御館様、参りました」
「入れ、光秀」
音もなく入ってきた光秀は、俺が既に床から起きていたことに、驚きの表情を見せたものの、一瞬のうちにいつもの無表情に戻っていた。
「これはこれは、さすがは御館様ですな。鉄砲傷を受けられたというのに、もう平静でいらっしゃるとは」
「たわけ……狙撃者は捕らえたのか?」
「はっ!実行犯は二人……雑賀の者でございました」
「雑賀衆か…ではその二人を金子で雇った者がおろう?」
「はっ、ただ今、尋問中ですが……何やらまた、西の方で不穏な動きがございます。噂では、『死んだはずの亡霊』が黄泉の国から蘇ったと………」
光秀はニヤリと不敵な笑みを口の端に浮かべる。
「『亡霊』…毛利か…元就が生きている、と?」
「まだ真偽の程は定かではございませんが…村上水軍の生き残りを纏めている海賊のような男がおる、と間諜から報告がございました」
「村上水軍か…それならば、堺の九鬼にも知らせておけ。西の動向は、引き続き間諜に探らせよ。
場合によっては、撃って出ることになるやもしれん」
「はっ、承知致しました。
………ところで御館様、お怪我の具合は如何で?」
「大事ない、かすり傷だ、じき治る。鉄砲による狙撃とは考えたものだな。雑賀の者ならば腕も確かだ。確実に仕留められると思ったか…」
「よく避けられましたな」
「撃たれる前、微かに硝煙の臭いがした」
(それだけで反射的に動かれたか…さすがは御館様。
しかし本当に大事に至らなくて良かった…御館様にも朱里にも…)
主の無事をこの目で確かめられて、らしくもなく安堵する自分に、光秀は心の中で苦笑する。
「んんっ……のぶながさま?」
その時、寝所の方から、衣擦れの音と掠れた声が聞こえてきた。
(目覚めたか?)
「…くくっ、では御館様、私はこれにて…」
何事か察したかのように含み笑いを浮かべながら、光秀が腰を上げる。
「新しい情報が入ったら、すぐ知らせよ………夜でも構わん」
「畏まりました」