第37章 危機
撃たれた右肩を庇うように、左手一本で私を抱き締める、その温かなぬくもりと背中に伝わる信長様の心の臓の音。
「落ち着け、慌てずとも大丈夫だ」
耳元で囁かれる、いつもの優しい声。
乱れていた心が、徐々に落ち着きを取り戻していく。
(そうだ、私がしっかりしなくちゃ…こういう時のために医術の勉強したんだから…信長様の為に…私ができることをしなくては…)
「…信長様、傷を見せて下さい…」
羽織を脱いで、着物を肩からずらすと…被弾した肩の辺りの肉がえぐれ、血がじわじわと溢れてきていた。
見たこともない血の量と傷口の様子に再び動揺が走り、一瞬目の前が真っ暗になった。
「つっ…うっ」
低く抑えたような信長様の呻き声に、ハッと我にかえる。
着物をずらした時に傷に触れたようで、痛みに顔を顰める信長様を見て、気を持ち直す。
「…信長様、消毒します。少し痛みますけど、我慢して下さいね」
「ふっ、貴様、誰にものを言うておる?…さっさとやれ」
消毒をして血止めの薬を塗り、包帯を巻く。家康に教えてもらったことを一つ一つ思い出しながら、やっていく。
包帯の巻終わりを結び止めて、ほっと息を吐く。
ようやく顔を上げて信長様を見ると、少し顔色が悪いが、その表情は穏やかだった。
「…信長様…」
「朱里、よくやった。見事な手際であった」
(こんな時まで褒めてくれるなんて…あんな傷…痛いはずなのに…)
「…御館様、その傷では、奥方様を支えて安土まで馬を駆るのは…」
伊助が気遣わしげな顔で、二人を交互に見ながら遠慮がちに言う。
「そうだな……途中まで迎えを呼ぶか…」
信長様は呟くと、いきなり天に向かって指笛を鳴らす。
『ピィーッ』
指笛の高い音が空に響き渡って暫くすると……バサッバサッっという鳥の羽ばたく音が聞こえてきて、黒い大きな影が空から一直線に降りてきた。
「羽黒っ!」
羽黒は信長様の左肩に止まり、怪我をした主人を気遣うように、頬に体をすり寄せている。
信長様は羽黒の頭を優しく何度も撫でてやってから、血に染まった自身の羽織を引き裂いて紐状にすると、羽黒の足に結びつけた。
「よいか、羽黒。先に安土に行け。秀吉に知らせよ」
信長様は羽黒の頭をもう一度撫でてやってから、羽黒を乗せた左腕を天に向かって高く上げる。
「行け!羽黒っ!」