第36章 母というもの
「……信長様?」
心配そうに見つめる朱里の視線がいたたまれなくて、朱里からも母からも目を背ける。
初めて聞く母の告白に、心の内は乱れ、激しく動揺していた。
俺を『愛していた』などと……母からの愛など決して得られぬものだと思っていたのに。
ふと気がつくと口の中に微かな血の味を感じていて、初めて自分が唇をギリギリときつく噛んでいたことに気づく。
「………仰りたいことはそれだけか?
俺は、貴女と話すことなど…何もない。
朱里、部屋へ戻るぞ」
それだけ言うと背を向けて、朱里の返事を待たずに歩き出す。
「信長殿………」
「っ、信長様っ、待って!」
背後から、朱里の引き止める声が聞こえたが、俺にはもはや立ち止まる気はなかった。
立ち止まってしまえば、抑えてきたものが溢れて取り返しがつかなくなる気がしていた。
一人、足早に庭を抜け、部屋へと戻ると、胸の奥のモヤモヤとした気持ちを吐き出すかのように、大きな溜め息を吐く。
しばらくすると、走って後を追って来たのであろう朱里が、はぁはぁと息を切らしながら襖を開け、俺を見た途端にへなへなと床に座り込んだ。
「……何をしている?」
「っ…だ、だって…また私を置いて、どこかに行ってしまわれるんじゃないかって…心配で…」
泣きそうな顔をして訴える姿に愛しさが募り、手を伸ばして抱き寄せる。
腕の中に閉じ込めて、そのぬくもりを実感する。
「………どこにもいかん。俺が貴様を置いていくなど……天地が裂けてもあり得ん」
「………ごめんなさい。私、また勝手なことをして…」
「母上のことか?気にせずともよい……怒ってはおらん」
「っ…でもっ…」
「………それ以上何も言うな。今宵はもう休む」
「信長様………」
これ以上、この話をしていたくはなかった。
このまま何も考えず、眠りに落ちてしまえばいい。