第36章 母というもの
伊勢国に滞在して数日、いよいよ明日は安土へ帰国することになり、今宵は信包様が宴を開いてくれていた。
「はぁ〜、伊勢のお料理は本当に美味しいですね!新鮮な海の幸が豊富で…いくらでも食べられそう!」
「…貴様、いつものことだが、本当に美味そうに食うな。
まぁ…しっかり食って体力をつけておけ。明日は早い。褥から出られぬようでは困るぞ」
「やっ、もうっ!」
上座の信長様の席の隣で、次々と運ばれてくる豪華な料理に舌鼓を打ちながら、広間の中を見回す。
宴の席には、お市様や姫君たちの姿はあるが……義母上様の姿はない。
「…あの…信包様、義母上様は?」
遠慮がちに問うと、信包様はチラッと隣の信長様を恨めしそうに見遣って、言う。
「…母上は、宴には出ぬ、と。……兄上に遠慮してらっしゃるのです」
このまま明日になったら、私達は安土へ戻らねばならない。信長様と義母上様は、言葉を交わすことも一目会うこともなく……二度と会えないかもしれないのに。
信長様は平気なのだろうか……平気なはずはない、と思う。
あの日、襖越しに義母上様の声を聞いてから、信長様は何か深く考えておられるようだった。顔には出されないけれど、そのお心には迷いがあるようで、夜になると、その迷いを断ち切るように、より一層激しく私を求められた。
信長様の哀しみも苦しみも、全て受け止めてあげたい。
貴方の心がこれ以上傷つかなくて済むように、心を凍らせてしまわぬように、私は貴方の隣にいたい。
少しでも迷っておられるなら……会わずに後で後悔されるぐらいなら……なんとかしたい。
勝手なことをするな、と信長様はお怒りになるかもしれないけれど、なんとか二人が会える方法はないか、と賑やかな宴の間中、私はそればかり考えていた。