第36章 母というもの
翌朝、褥の中で目を覚ました私は、あまりの身体の気怠さに起き上がることもできなかった。
「ううっ……もう…無理…」
「………大丈夫か?」
信長様は隣で身を横たえたまま、私の髪を一筋掬い取って弄んでいる。
その顔は、憎らしいほど清々しい。
昨夜も明け方近くまで睦み合って、ほとんど眠っておられないはずなのに、何故こんなに元気なんだろう……。
「…信長様、元気ですね…眠くないんですか?」
「ふっ、俺は数日眠らんでも平気だ。
午前中は城下の視察に行く予定だったが…無理か?」
「…そうですね。ごめんなさい…。
午後は時間がおありですか?私、江姫に会いたいんですけど、信長様も一緒に会って下さいませんか?」
「………別に構わんが、俺は会わぬ方が良いのではないのか?」
「江姫に、ちゃんと説明したいんです」
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お市様に聞いて江姫の部屋の前まで来ると、入り口の襖の向こうから何やら話し声が聞こえてきて立ち止まった。
「江よ、いい加減に機嫌を治して伯父上にご挨拶に行きなされ」
(………この声…義母上様?)
隣に立つ信長様を見ると、ギクリと顔を強張らせて戸惑っている様子だ。いきなりクルッと背を向けて立ち去ろうとされるので、慌ててその手を捕まえて引き留めた。
「っ、だって…伯父上は嘘つきです!私を妻にしてくれる、って仰ったのに!」
チラッと横目で信長様を見ると、『言ってない』と口だけで言いながら、首を横にぶんぶん振っている。
「江…伯父上は、朱里殿を真に愛しておられるようです。この乱世に、政略ではなく、真に愛する者と婚姻を結ぶことは非常に珍しく、また幸せなことです。伯父上はその幸せを漸く手にされたのです。
江は伯父上が好きであろう?大好きな伯父上が幸せになられるのを喜んであげねばのう?」
「で、でもっ、おばば様…江は…」
「江は、朱里殿のことも好きなのであろう?その大好きなお二人が互いに望み合って夫婦になられたのですよ。
私はそれが………本当に嬉しいのです」
「…おばば様………」
ふと気がつくと、隣で握った信長様の手が震えていた。
唇をぎゅっと引き結び、眉間に深い皺を刻みながら、無言で目の前の襖を睨んでる。
私が心配そうに見上げているのにも、気づいていない。
只々、襖に穴が開きそうなぐらいに鋭い目で前方を睨み据えていた。