第36章 母というもの
「信長殿との関係をなんとか修復せねば、と思っていた矢先に、信勝が謀叛を起こしてしまったのです。
兄弟が戦場で刀を交えることになるとは…全て母である私が至らぬせいでした。
あの子に弟を殺めて欲しくなくて、必死に信勝の助命をしました…でも、それが間違いだったのです。
信勝の助命をする私を見下ろすあの子の目は、裏切られた哀しみに満ちていた。一切を諦めたような冷たく哀しい目をしていました。
二度目の謀叛で信長殿が信勝を手にかけたと聞いた時には、我を忘れてあの子を『鬼』と罵った。本当にひどい母親です。
それ以来、信長殿は私を避け続け、私もあの子の大望の邪魔にならぬよう、距離を置いてきました」
「義母上様は……今からでも信長様との関係を修復することをお望みなのですか?」
「そうできれば、どんなにいいか……でも、もう難しいでしょうか……信長殿は私に会うつもりはないようですね」
「……私にも分からないんです、信長様のお気持ちが。
実は……最初は伊勢に行くことも嫌がっておられました。
色々あって、伊勢行きを承諾してくださったから…義母上様にも会う気になってくれたのだと思ってました………」
「会えずとも…一目だけでもその姿を見たい。でも…それも私の身勝手ですね。あの子の心を散々傷つけておいて、今更会いたいなどと…あの子の気持ちも考えずに…ね」
義母上様の目から一筋、涙が零れ落ち、重ねられたその手を濡らす。
その涙はとても美しくて、義母上様の信長様に対する深い愛情が溢れているようだった。
かける言葉が見つからなくて黙ってしまった私を気にするように、涙を拭った義母上様は努めて明るい声で、仰った。
「貴女は本当に信長殿に愛されているようね」
ついっと手を伸ばして、私の首筋に優しくそっと触れた。
「!?」
(っ、しまった!信長様の口づけの痕!忘れてた…)
「あっ、やっ…これは、その、あの…」
「ふふふ……あの子がそんなふうに独占欲を露わにするところなど、見たことないわ。きっと貴女にだけ、ね」
恥ずかしくて首を押さえて俯く私に、義母上様は楽しそうに言いながら、信長様によく似た笑顔で微笑んでおられた。