第31章 祝言
祝言の日
「…姫様、お目覚めでございますか?」
襖の向こうから、千代が遠慮がちに尋ねる声が聞こえてくる。
「起きています」
「失礼致します。
姫様、そろそろお支度を致しましょうか」
城下の桜が満開に咲き誇り、穏やかな春の陽射しが降り注ぐ、温かな春の一日
今日この日、私は信長様の正式な妻になる
鏡の前に座り、千代に化粧を施してもらう。
いつもと変わらぬ朝の光景も、今日だけは何か特別なものに感じて少し落ち着かない。
いつもより念入りに白粉をはたき、鮮やかな紅を引いた、婚礼用の濃いめの化粧を施すと、実際の年齢以上に大人びた印象に仕上がった。
化粧が終わると、次は衣桁に掛けてある花嫁衣装に着替える。
白綸子の小袖を着付け、上から正絹の純白の打掛を羽織る。
打掛は金糸で鶴の紋様が織り込んである豪華なもので、これらの花嫁衣装は、この日の為にと小田原の父母が作らせて用意してくれたものだった。
(父上と母上の元から嫁ぐことはできない…
この花嫁衣装も見せてあげることはできないけれど…
父上、母上…私は今、幸せですよ…)
「…姫様、お綺麗ですよ」
千代が感極まって目に涙が滲むのを堪えながら褒めてくれるのを聞きながら、背筋をピンっと伸ばして姿勢を正し、立ち上がる。
「…では、千代、参りましょう」
自室の襖を開けて、部屋の外へと歩を進める。
それは小さな一歩だったけれど、これから信長様と二人で歩んでいく為の最初の一歩だった。