第30章 南蛮の風
信長様の手が私の腰を引き寄せ、その端正な顔がすっと近づいてきて、鼓動が早まったその時………
「御館様、おはようございます。
秀吉です。お目覚めでございますか?」
襖の向こうで秀吉さんの遠慮がちな声が聞こえてきて、信長様の顔が私の唇の一歩手前でピタっと止まる。
「……チッ、猿め、邪魔をしおって」
小さな声で毒突くと、何事もなかったかのような平静な声音に戻って威厳たっぷりに「入れ」と命じた。
(う〜ん、さすが信長様。切替が早いっ。
私なんて、口づけの手前でまだドキドキしてるのに…)
「御館様、おはようございます。
朱里もおはよう。よく眠れたか?」
入ってきた秀吉さんは何の違和感も感じなかったらしく、いつものように優しい笑顔で挨拶してくれた。
秀吉さんが今日の予定を伝えたり、細かな報告をしているのを、お茶の用意をしながら、一緒に聞く。
「…………本日は以上でございます。
御館様の方で、何かございますか?」
「………いや、問題ない。
ところで秀吉、朱里との祝言のことだが………
南蛮寺で祝言を挙げることにした。
オルガンティノと細かな打合せをしろ」
「…は?
お、御館様っ、今、何と??」
「南蛮寺で祝言をする。
城下の民にも、自由に見物してよい、と伝えよ」
「…し、しかし…そのような祝言は前例が…。
朱里は?朱里はそれでいいのか?」
「ええっと、私も今聞いたばかりでびっくりしてるけど。
……信長様には何かお考えがおありなのでしょう?」
(信長様がなさることは、いつも深い理由がある。
今回も何か考えていらっしゃるはず…)
「嫁入りと言っても朱里は既に城に住んでおるし、これまでと何ら変わるところはない。
それならば、何か趣向を凝らした祝言ができぬかと考えておったのだ。
城下の民の前で祝言を挙げれば、朱里のお披露目ができる。
民の中には、南蛮のものや伴天連たちを得体の知れぬ、恐ろしいものと考えている者も少なくない。
城主である俺が南蛮寺で祝言を挙げれば、民たちの認識も変わるであろう」