第115章 紀州動乱
つい先程まで晴れていたというのに急に空が陰り、黒々とした雨雲が流れるように押し寄せてきていた。
外が暗くなったことを不審に思い、庭に面した障子をそっと開いてみると、生温い風がさぁっと吹き抜けて桶をひっくり返したような唐突さで雨が降りはじめたのだった。
ばらばらと大地を打つような急な雨音に驚いて、開いた障子もそのままに空を見上げると、降り注ぐ雨は滝のようで白く烟っている。
「まぁまぁ!通り雨でしょうか?姫様、そこでは濡れてしまいますわ。早くこちらへ…」
突風に煽られて乱れた髪を押さえていると、千代が慌てて駆け寄って来る。
「急に降ってきたわね。すぐに止むといいのだけど。戦場でも…降っているかしら?」
信長が出陣してから数日が経っていたが、開戦したとの知らせは未だ届いておらず、不安な気持ちは募るばかりであった。
「通り雨ならすぐ止むでしょうが、雨は戦況にも影響しますから心配ですね」
千代は障子を閉めながらどんよりと曇った空を見上げる。
昼間だというのに辺りは一瞬にして暗く陰ってしまい、何処となく不穏な空気が立ち込めているような気がしてならず、空模様とともに気持ちもずぅんと沈んでいくようだった。
それでなくとも、此度は主だった重臣達が皆出陣してしまい、城の中は何とも寂しく、重苦しい雰囲気が漂っていた。
(姫様は城を預かる正室として気丈に振る舞っておられるけど…やはり不安は感じておられるに違いない。いつものように戦が無事に終わればいいけど)
これまでは信長が戦に負けることなど考えたこともなく、信長が不在の間の城の守りは信頼の置ける武将達に任せられていたため、女達は主の無事を祈り、ただ帰りを待っているだけでよかったのだ。
だが、此度の出陣に際して信長は留守居役の武将を置かなかった。それ故に、今、何か事が起これば正室である朱里が表に立ち、この城を守らねばならないのだ。
(信長様は一体何をお考えなのか…此度の戦がいかに総力戦とはいえ、留守居の一人も置いて行かれぬとは。これではあまりにも城が無防備過ぎるというもの。姫様を事のほか大事にし、片時も離されぬあの御方らしくもない)
「……千代、心配しなくても私は大丈夫よ」
浮かない表情の千代を安心させるように、朱里は柔らかく微笑んでみせる。
「姫様…?」