第115章 紀州動乱
奇襲に用心しつつ合戦場へと向かう行軍の途中、織田軍は小さな湖の畔で馬と兵にひと時の休息を与えていた。
「光秀、ここからは手筈どおり動け」
「はっ!」
光秀は信長に頭を垂れると、天幕の陰にさっと姿を消した。
「光秀はまぁた密命ってやつですか?」
光秀と入れ違いにやってきた慶次は、光秀が姿を消した天幕の方へチラリと目線を遣りながら軽い口調で信長に声を掛ける。
「……適材適所だ。貴様には明日の合戦での活躍を期待している」
「はっ!一番槍はこの前田慶次にお任せあれ!新型の火器なんざ恐るるに足らず、だ!」
おどけた調子で言いながらも慶次の表情はどことなく冴えない。
「……何だ?」
「っ…いえ…その、一つ聞いておきてぇことがありまして…此度、大坂城へ留守居を置かなかったのは…策のうちとはいえ…その、出立の際に朱里が不安そうにしてたんで…」
「手は打ってある。貴様が気にすることではない」
「それは…そうなんですが。仔細を伝えてやってもよかったんじゃ…万が一ってこともありますし」
「あやつが危うくなる事態にはならん。余計な心配はさせたくない」
「っ……」
キッパリと言い切る信長に、慶次はそれ以上言い募ることはできなかった。
信長の天幕を出た慶次は、兵達が集まって休息を取っている場所へと足を向ける。
兵達の士気は高く、信長が自ら指揮を取る大戦を前にして誰もが功名心を昂らせていた。
「毛利の亡霊なんざ、叩き切ってやる!」
「雑賀だか何だか知らねぇが、御館様には敵わねぇだろ?まとめて蹴散らしてやらぁ!」
「おっ!威勢がいいなっ!本番で空回りしねぇように、今のうちにしっかり休んどけよ」
慶次はカラリと晴れ渡った空のような明るい笑顔を振り撒きながら兵達に声を掛けて回る。
「慶次殿!こっちは早く戦いたくてうずうずしてるんでさぁ。御館様の前ででっかい手柄を上げてやるんだ!」
「御館様はやっぱり凄ぇお人だ。あの御方が陣にいらっしゃるだけで負ける気なんてしねぇよ」
兵達の信長への崇拝ぶりは今に始まったことではないが、此度は天下泰平の世を脅かす輩を成敗する戦ということで、いつも以上に神がかった崇拝ぶりであった。