第115章 紀州動乱
「…朱里」
廻縁に出てきて夜空を見上げた朱里の腕を引き寄せ、その身を背中から抱き締める。無防備に晒された頸(うなじ)に唇を寄せ、啄むように口付けた。
「っ…んっ…信長さま?」
温もりのある身体から匂い立つ異国の香油の匂いが鼻腔を擽る。
花のような甘い香りに酔ったように、信長は朱里の頸にちゅっ、ちゅっ、と音を立てて何度も口付ける。
「やっ…あっ…待って…信長さま…んっ…」
性急に求められることに戸惑い、制止の声を上げても信長の口付けは止まない。抱き締める腕の力は決して強くはなかったが、口付けの合間にも熱い手が夜着の上を這い、身体の線を確かめるかのようになぞっていくのに惑わされてしまい、身動きできなかった。
(んっ…こんな…外でこんなこと…ダメなのに…っ、それに今宵は…)
「の、信長さま…ダメです、っ、あっ…明日に、差し障りますっ、から、あっ…」
「構わん。貴様に触れるのに何の障りがある?寧ろ、良い験担ぎになるというものだ」
「やっ…そんなっ…」
「……明日出陣すれば、暫く戻れぬ。今宵は貴様をたっぷりと堪能しておくとしよう。俺が戒めなど気にせぬ性質(たち)だと分かっているだろう?」
「そ、それは分かってますが…」
通常、武将は出陣の三日前から精進潔斎し、性の交わりを絶たねばならない。
精進潔斎とは、穢れを落とし心身を清める行為で、酒色や肉食を断ち、品行や女色を慎み、不浄や穢れを寄せ付けないようにして、沐浴などで体を清めることである。
女性との交わりは一切禁止で、相手が正室であろうと例外はなかった。精進潔斎により士気を高め、体力を温存して戦いに臨むのだ。古来よりこの戒めに背く者は必ず討死すると伝えられていた。
だが、朱里が知る限り信長がこの戒めに従ったことは、未だかつて一度もなかった。
出陣前は名残を惜しむかのように一層激しく求められるし、出陣の前の晩でも明け方近くまで何度も睦み合うような濃厚な夜を過ごし疲れなど露ほども見せずに兵達を率いていくのだ。
(信長様に求められることは嬉しいけど、お身体も心配だからゆっくり休んでほしい。此度は大きな戦になると聞いているから…)