第115章 紀州動乱
織田領内だけでなく、日ノ本各地から上がってくる一揆勢蜂起の知らせに休む間もなく対応に追われる中、それに反して大坂城内は静寂を保っていた。
各地に兵力を分散するため手薄になった大坂を囮にするという信長の策により、城を守る兵数も少なくなっているため、城内の者達にも戦時の緊張感がなく表向き穏やかな時間が流れているようだった。
「信長様」
風のない夏の夜は蒸し暑く、じっとしているだけでもじんわりと汗ばんでくる。夏の終わりが近付き、朝晩は幾分涼しさを感じる日も増えてはいたが、今宵は肌に張り付く湿気がじめじめとして鬱陶しい。
湯上がりの火照った身体を冷まそうと廻縁に出たものの、室内とさして変わらぬ蒸し暑さに辟易としていた信長に朱里は遠慮がちに呼びかけた。
同じく湯浴みを済ませてきたのだろう、ほんのりと蒸気した顔と少し緩めに寛げた襟元から覗くほっそりとした首筋が艶めかしく、何気なく視線を向けた信長の情欲を思いがけず煽る。
暑さのせいで体内に籠っていた熱が数度一気に上昇したような心地がして息苦しく、無意識にほぅっと息を吐き出していた。
「今宵は一段と蒸し暑いですね」
「ひと雨降れば多少は涼しくなるのだがな。今年は梅雨時も晴れ間が多かったし、雨が少ない年のようだ。まぁ、戦場で降られるのは困るが…」
今や戦の主力ともなっている火縄銃や大筒といった火器類は雨天ではその威力が落ちると言われている。
火縄銃が普及し始めた当初は雨が降ると火縄や火薬が濡れてしまい点火できなかったため、雨中戦では使い物にならなかった。
そこで、火縄銃の雨対策のために、火縄に使用する縄を雨に強い木綿に変えたり、漆を塗るなどして改良が行なわれ、湿りにくい縄が開発されるようになった。また、火縄部分以外にも、点火薬を盛る火皿に「雨覆い」といった部品が付けられる防水対策が施されていて、現在では雨の中でも火縄で点火することが可能になっている。
だが、それも少量の雨の場合に限る。滝のように降り注ぐ雨の中では本来の威力を発揮することは難しく、予期せぬ雨に遭えば戦況が大きく変わることもあり得た。
ゆえに戦略を練る上で、戦場の地形を把握するのと同じぐらいに天候を予測することが重要になってくるのだ。