第115章 紀州動乱
各地に兵力を分散させれば大坂の守りが手薄になる。万が一にでも織田の本拠地である大坂が敵の手に落ちるようなことになれば、信長の権威は地に堕ちる。
そうなればこれまで好意的であった朝廷や公家衆も手の平を返したように織田にそっぽを向くだろう。同盟を結んでいる国々とて当てにはならない。自国にとっての利が失われれば忽ち敵となることは自明の理であった。
信長は再び四面楚歌の状況に陥ることとなるだろう。
「案ずるな、三成。それが御館様の狙いだ」
「えっ……」
頭の中を見透かしたような光秀の言葉に返す言葉が見つからない。
大坂を囮にし、自ら進んで危地に飛び込むような策が信長の狙いとは如何なることであろうか。
「おい、光秀、聞き捨てならないぞ。そんな危うい策が御館様の狙いだと?」
「そうだ。各地に兵を分散させ、手薄になった大坂を狙わせる」
「なっ…そんな策、認められるか!大坂を戦禍に晒すなど…」
「落ち着け、秀吉。御館様の御前だぞ」
「黙れ、光秀。お前は何でそんなに落ち着いていられるんだ。御館様っ!いかに御館様のお考えとはいえ、この秀吉、こればかりは承服致しかねます!」
大坂に敵が攻め寄せれば朱里たちにも危険が及ぶかもしれない。
信長が数年かけて手を尽くし整えてきた城下が蹂躙されるかもしれない。城下の民達の命が危険に晒されるかもしれない。
そう考えると、主君に意見する形になろうとも黙ってはいられなかった。
「秀吉、これは策だ」
「はい?」
興奮して身を乗り出す秀吉とは反対に信長は余裕の表情で微動だにしていない。
「俺の首と大坂を餌にこの騒乱を裏で操る者を誘き出す。実際に大坂に戦渦が及ぶことはない。案ずるな」
「御館様っ…」
それでも納得はできない。策とはいえ、信長を危険に晒すような真似はできない。
「っ…他に策は…ないのでしょうか?」
「天下の平穏を脅かす者は全て炙り出す。徹底的に叩かねば、同じことの繰り返しだ」
天下布武が成し遂げられても争いの火種がなくなることはなく、領地間での小さな争いや一揆は変わらずに起きていた。
此度の各地の騒乱も何者かが扇動したのだとしても、元を正せば小さな諍いから生じた争いだ。
人は人と争わねば生きてはいけないのか
人の心はそれほどに弱きものなのか
やるせない虚しさが武将たちの心に重石のようにのしかかっていた。