第115章 紀州動乱
「貴様は食わんのか?暑気あたりで食欲が落ちていると聞いたが、大事ないのか?」
夏の暑さが苦手でこの時期は毎年暑気あたりで体調を崩しがちな私は、例年通りこの夏も体調は芳しくなかった。
食も進まず、眠りも浅いため何となく身体が重怠い日々が続いていたが、お忙しい信長様に心配をかけるわけにはいかなかった。
信長様が紀州への視察から戻られた後、城内も慌ただしくなっている。近々、大きな戦が起きるのではないかという不穏な噂も囁かれている。家臣達が不安になっている今、信長様の妻である私が体調が優れないなどと言ってはいられないという思いもあった。
「大丈夫ですよ。毎年のことですから…心配なさらないで」
「今年は特に日差しが強い日が多い。あまり無理はするな。辛い時は我慢せずに言え」
「ありがとうございます、信長様」
思いやりのある優しい言葉と、そおっと頬を撫でていった手の温もりに、気持ちが軽くなっていくような気がした。
(戦の噂は気になるけど…政に関わることだから、信長様の方から話して下さるまでは私から聞いてはいけない。私は私が今できることを…信長様のお心を癒し、城の皆が心穏やかに過ごせるようにするだけだ)
信長様の言うように、今年の夏は特に暑さが厳しいようだ。
今も、座ってじっとしているだけでもじんわりと額に汗が滲んでくる。身の内に熱が籠って蒸し暑くなり、頭がぼんやりしてしまう。
「……朱里?」
「…っ…あっ…」
「どうした?ぼんやりして…まさか本当にどこか具合が悪いのではあるまいな?」
ーコツンッ…
「わっ…の、信長様っ!?」
悩ましげに眉間に皺を寄せた信長様の端正な顔がいきなり近付いて来て、コツンっと額が合わさった。
予期せぬ急な接近に驚いた心の臓がドクっと一つ大きく跳ねる。
慌てて身を捩ろうとするが、後ろ頭を存外しっかりと押さえられていたため微動だにできなかった。
「熱は…ないな。ん?顔が赤いな。身体に熱が籠っているとよくない。すぐに冷やした方がよい。秀吉、氷を持て」
「はっ!」
「ち、違っ…秀吉さん、待って待って!私は大丈夫です。氷はいりません!ほ、ほら、こうして扇いでいるだけで十分涼しくなりますよ?」
帯に挟んでいた扇子を取って、急いでパタパタと扇いでみせる。
(氷なんて貴重なもの、簡単に使えないよ…)