第115章 紀州動乱
(生まれや身分に関係なく人が自由に生き方を選べる世の中なんざ、所詮絵空事だ。どこまで行っても人が人を支配する世は終わらない。争いの火種なんてものは永久に消えることはない。常にどこかで誰かが争い、不本意にも命を落とす者がいる。それが現実だ)
信長が天下布武を成したことで大きな戦は起こらなくなり、今の日ノ本は表面上は平穏だった。だが、朝廷をも懐柔し意のままに操っているようにも見える信長を疎ましく思う者は少なからずいる。この国は決して一枚岩ではなく、ぶすぶすと燻った火種を煽ってやればたちまち紅蓮の焔が燃え上がり、再び争いの日々が戻るだろう。
誰もが平等なわけではない。
『持つ者』と『持たざる者』
『支配する者』と『支配される者』
大別すればこの世は二つに分けられる。
弱き者はいつだって理不尽に奪われるばかりなのだ。
幼き頃、全てを奪われた自分は何一つ持たぬまま放り出された。
生きるために強くならねばならず、生きるために奪わねばならなかった。
人の生き様など、善か悪か、と単純に線引きできるものではない。
(誰もが思うまま自由に生きられる世。それが信長の望む世だと、天女のようなあの女は言った。純粋で人を疑うことを知らぬ真っ直ぐな心根の女…朱里は今も変わらないでいるのだろうか)
裏切り、殺し合うことに何の感情も抱いて来なかった己には、朱里の純粋さはあまりにも眩し過ぎた。
真夏のむっとするような蒸し暑さを含んだ潮風が元就の褐色の肌を撫でる。
灼熱の太陽を照り返して揺らぐ海面を見る深紅の眸は、その燃え盛る炎のような色合いとは逆に酷く冷めていた。
(信長から全て奪う。その首も、奴が大切にしているものも…全てを奪って全てをぶっ壊す)
「さぁ、楽しい祭りの始まりだ。派手な花火を上げてやろうじゃねぇか」
元就は獰猛な獣が追い詰めた獲物を嘲笑うかのような不穏な笑みを浮かべると、どこまでも広がる海の向こうを鋭く睨み付けた。