第115章 紀州動乱
結局最後まで明確な用件を告げぬまま帰っていった信長を見送った蘭丸は、揺れる気持ちを抱えたまま重い足取りで顕如の部屋へと向かう。
「顕如様」
呼びかけて襖を開けると、顕如は文机の前に座り、文を読んでいるところだった。
文面を追う目からは感情が読み取れず、時折きゅっと眉を顰めて険しい表情を見せる様に不穏なものを感じてしまう。
呼びかけたものの何となく近寄りがたいような緊張感が感じられて、蘭丸はその場で動けなくなってしまった。
物問いたげな蘭丸の視線に気付きながらも、顕如は読み終えた文を小さく折り畳むと、僅かな躊躇いも見せずに仏前の蝋燭の火に焚べてしまった。
「あっ!」
燃え移った火があっという間に文を包み、一瞬のうちに明々とした蝋燭の火がぶわっと膨らむのを見て、蘭丸は思わず声を上げた。
動揺する蘭丸の目の前で、文は見る見るうちに灰になる。
「顕如様っ…」
「再び時が来たようだ。同胞達の無念を晴らす時がな」
「っ…それは…その文は…?」
「地獄からの誘いだ。あの男を道連れにできるなら、この身はたとえ地獄に落ちようとも悔いはない」
「なっ…」
固い決意を秘めた顕如の眼差しとは反対に、蘭丸の瞳は迷いを帯びて揺れ動く。
「蘭丸…私はお前までも道連れにするつもりはない。お前はお前の思うように生きよ」
「い、いえ…俺も一緒に参ります。顕如様に拾っていただいたこの命、顕如様と共に最後まで…」
「無理をするな。迷っているのだろう?今もなお、あの男への情は捨て切れぬか?」
「ち、違います!情なんて…ただ、俺は…信長様を討つことが本当に正しいことなのかどうなのか分からなくなってしまって…今、織田家の天下のもと、仮初めでも戦のない世が実現していることは事実ですし…」
「魔王の独りよがりの支配の下でか?」
「っ…」
「数多の民の無辜の命を無惨に踏み躙ってきたあの男を恨む者は多い。大切な者を奪われた恨みは深い。根強い恨みはそう易々とは消えぬ。人の命を簡単に踏みつけにして躊躇いもせぬような男の天下など、御仏が許されようはずがない。人が人を支配する世の中は本当の意味で平和とは言えぬのではないか?」
「でも…それじゃあ信長様を討ったその後は…この国は…日ノ本はどうなるのです?誰が民達を導いていくのですか?その時、顕如様は…顕如様はどうなさるのですか?」