第115章 紀州動乱
数年に亘る一向宗徒との戦いは苛烈を極めるもので、本願寺側、織田側双方に多くの犠牲を出した。
特に三度に亘って行われた信長の伊勢長島侵攻は、老若男女問わず長島の砦に籠る全ての門徒を撫で斬りにするという残虐な戦いであった。
信長の方も兄や弟など数多くの一門衆や有能な家臣達を失うこととなり、結果的には織田方の勝利に終わったが、その代償は決して小さくはなかった。
門徒たちの多くは民百姓であり、彼らを煽動したのは本山から派遣された坊官や地元の国人衆であった。御仏の加護を信じ、粗末な武器を手にひたすらに念仏を唱えながら向かって来る民百姓を信長は容赦なく討ち払った。
討ち払わねば味方が呑み込まれ、踏み躙られる。
殺さねば己が殺される。ならば殺すしかない。相手が何者であろうとも……
それは降りかかる火の粉を払うが如くであり、信長には無論、躊躇いも後悔もなかった。
それでも、折り重なる敵味方の無数の屍を目の当たりにして、織田と本願寺、互いに進む道をどこで違えてしまったのだろうかと思うことはあった。
「信長様、あの…此度はどのような用向きでこちらへ…?」
蘭丸は客間へ案内した信長へ茶を差し出しながら、遠慮がちに問いかける。
顕如と共にこの地に来てから蘭丸は穏やかな日々を過ごしていた。
かつて過ごした豊かで広大な大坂の寺内町の繁栄とは比べるべくもなかったが、ここでは皆が互いに協力し合いささやかでも満ち足りた暮らしを送っている。
富や権力とは無縁の暮らしであったが、それでも京、大坂の様子、天下の趨勢はこの紀州の地へも自然と聞こえてくる。
今や圧倒的な力で天下を治める信長の突然の来訪は、蘭丸にとっても全くの予想外であった。
「久しぶりに法主様の御尊顔を拝みに来たまでよ」
「っ…茶化さないで下さい。お忙しい信長様がわざわざお越しになるなんて、何かあるとしか思えません!」
「何かとは何だ?」
「えっ…」
逆に問いかけられて蘭丸は言葉に詰まる。
和睦が成立しているとはいえ、顕如が信長を喜んで迎えるとは到底思えない。ここにいる門徒たちの中には織田との戦で大切な者を失った者もおり、信長への恨みの感情を捨て切れない者も少なくなかった。そのような危うい所へ供廻りも僅かで訪れるというのは、余程の理由があるのだと考えずにはいられなかったのだ。