第114章 夏のひととき
庭に出した床机に腰掛けて盥に足先を浸した吉法師は、水の中で小さな足をぱちゃぱちゃと動かして飛沫を上げたり、両手を突っ込んで手のひらで水を掬ったりしては楽しそうに歓声を上げている。
その様子を傍らで見守りながら、朱里は水に濡らした手拭いで吉法師の額に浮く汗を拭いてやる。
(こんなに楽しそうにするんなら、最初からもっと大きな盥を用意して水浴びさせてあげれば良かったな。お部屋の中で静かに遊びなさい、なんて元気いっぱいの小さな子供にとっては酷だったのかも知れない。私、大人の都合でしなくていい我慢を吉法師にさせちゃってたのかも…)
無邪気な吉法師の笑顔を見ていると、何とも後ろめたい思いに駆られるのだった。
とはいえ夏の暑さが辛いのには変わりない。ジリジリと西陽が照りつける庭に長い時間出ていると、身体の奥からもジリジリと焼けるような熱さが滲み出てくるようだった。
「……ははも、ちゃぷちゃぷ、する?」
「ん?」
暑さに火照った顔をパタパタと手で扇いでいると、吉法師が小さな手に掬った水を差し出してくれる。幼な子はまだ上手く掬えないらしく、指の間からぽたり、ぽたり、と雫が次々に溢れ落ちていたのだが、キラキラと輝く瞳で見つめてくる我が子の愛らしい姿に胸がキュンっとなる。
「ありがとう。ふふ…冷たくて気持ちいいね」
手から手へ移されたのは僅かばかりの水だったが、冷んやりと冷たくて心地良かった。
庭ではセミ達が今を盛りと力の限り鳴いていた。
一般にセミの寿命は短いと言われているが、それは大人になってから死を迎えるまでの期間が僅か七日ばかりと短いことから、そのように思われているのだった。実際にはセミ達は一生の大半を何年も土の中で過ごし、地上に出た後はたったひと夏でその生涯を終えるのだ。
土の中で過ごす幼虫の期間は長いものでは七年とも言われ、ようやく地上に出て成虫になったセミは次の世代に命を繋ぐためだけにその僅かばかりの生を全うするのだった。
セミが鳴くのは、雄が雌を探したり、呼んだりする求愛行動だと言われており、鳴くのは雄のセミだけで雌のセミは鳴かない。
夏の暑さと相まって人には時にうるさく感じるほどの鳴き声は、セミ達が必死に今を生き、生きた証を残そうとする必死の叫びなのかも知れなかった。