第114章 夏のひととき
朱里や子供達の住まいであるこの奥御殿にもセミの声は響いていたが、吉法師が初めてセミを見たのが本丸御殿の庭だったため、どうやらそこに行けばセミが捕れると思っているようだった。
(隠れんぼにセミ捕りか…男の子の遊びはなかなか大変だな。こう暑くなければ私も喜んで付き合うんだけど…)
少し動くだけで汗が滲み出し、炎天下でジリジリと太陽に灼かれるのを想像するだけで気が遠くなるのだ。子供の底無しの体力についていける自信はこれっぽっちもなかった。
「吉法師、お外に行くのは夕方もう少し涼しくなってからにしない?お外は今、とっても暑いから…」
「やっ!いま!いまがいいの!セミさん、いなくなっちゃうからぁ…」
(大丈夫だよー耳が痛くなるぐらいこんなに沢山鳴いてるんだから、すぐにいなくなったりしないよー)
きゅっと悩ましげに眉を顰めてセミがいなくなってしまうのを心配する幼な子の姿は純粋で愛らしかったが、現実的な大人の母は心の中で密かに呟くのだった。
「はは、はやくっ!」
「わっ…ちょ、ちょっと待って…ああっ…」
グイグイと腕を引っ張る吉法師に抗えず、フラフラと立ち上がりかけるが、暑気あたりを起こしている身体は思うようにならず、立ち上がった瞬間、くらりと眩暈がしてその場で前のめりに倒れ込みそうになる。
(わぁ……)
吉法師に腕を掴まれているために手を付いて身体を支えることもできないまま無様に倒れていき……
「朱里っ…」
「っ…信長…様?」
畳の上に顔から突っ伏す直前、間一髪で支えてくれたのはいつの間に来られていたのか、なんと信長様だった。
鍛えられた逞しい腕で抱き止めた私を信長様はすぐさまぎゅっと力強く抱き締める。
「やっ、あの…信長様?」
「……ちち?」
きょとんと不思議そうな顔で信長を見上げる傍らの吉法師を見て、ハッと我に返る。
「あ、あのっ…」
「…全く…何をやってる?貴様、危うく転ぶところだったぞ?気を付けよ」
「すみません。ちょっと眩暈がして…」
「眩暈だと?具合が悪いのか?そういえば朝もあまり食が進んでおらぬようだったが…」
朱里の頬を両手で包み込み、信長はその顔色を案じるように間近でまじまじと覗き込む。
(ち、近い…っ、吉法師がいるのに…)
恥ずかしさから顔にかぁっと熱が集まるのを感じていると、こつんっと優しく額が重なった。