第111章 閑話〜信長と光秀のとある一日
信長は再び愉快そうに声を上げて笑いながら、注がれた酒を一気に飲み干した。
琥珀色の酒が薄い唇を濡らすのを舌先で拭う様が、男の目から見ても堪らなく色気があってドキリとする。
「美味いな。遠く海を渡りはるばる日ノ本へ辿り着いた酒と思えば、また格別に味わい深い」
「いかにも。日ノ本の酒とはまた違った良さがありますな。異国との貿易は今はまだ物の往来が中心ですが、人々が自由に行き来できるようになる日もそう遠くはないかと」
光秀もまた主が手ずから注いでくれたグラスに口を付け、異国の美酒を味わう。
「この酒もこの器も真に見事なものよ。これだけ見ても海の向こうの国々の豊かさが知れようというものだ。それに比べてこの国の小さきことよ。ようやく国が一つに纏まりつつあるとはいえ争いの火種はなくならぬ。国としての力もいまだ異国には及ばん。一刻も早く異国と対等に渡り合えるような強く大きな国にならねば…この国に未来はない」
空のグラスを手にしたまま傍らの地球儀に手を伸ばした信長は、海に浮かぶ小さな島国に親指と人差し指を合わせて挟み、その小ささを確かめるようにして見遣る。
「異国の文化や知識を直に学ぶため、これからは日ノ本の民も海を渡り外へ出て行かねばならん。いつまでも一つ所に留まっておっては国も人も成長せんからな」
「御館様も…海の向こうへ参られますか?」
空になった信長のグラスに再び酒を満たしながら、光秀は金色の眸を柔らかく眇めて問いかける。
「ああ、日ノ本のことが落ち着いたらな。一つ所に立ち止まっているのは性に合わん。常に新しきものが見たい」
海の向こうの国々に想いを馳せるように期待に満ちた目を向けながら、信長は丸い地球儀をカラリと回してみせる。
「では私もお供仕りましょう。どこまでも…海の果て地の果てまでも御館様と共に参る所存です」
「ふっ…貴様が共に来るならば退屈せずに済みそうだ。俺を楽しませてみせよ、光秀」
「御意」
深々と首を垂れると、信長の上機嫌な笑い声が聞こえてくる。
(生真面目で盲目的なほどの忠義心でお仕えしているあの男とは違い、俺が御館様の傍にあるのは忠義が故だけではない。この御方と共に道行けば新しき世の形が為せると思う欲があるからだ。この御方と共にあればまだ見ぬ世界が見られる…退屈せずに済んでいるのは寧ろ此方の方か…)