第110章 魔王の霍乱
その夜は城内で盛大な宴が催され、私と信長様はそのまま安土城の天主に泊まることになった。
「わぁ…ここから見る景色も変わりませんね」
「それほど歳月が過ぎたわけでもないのだから変わらぬのは当たり前だ。そのようなことで喜ぶとは貴様は相変わらず他愛ないな」
湯浴みの後、廻縁に出て無数の星が瞬く夜空を見上げながら感嘆の声を上げる朱里を信長は内心では微笑ましく思いながらも、敢えて素っ気ない態度で応じた。
「だって…信長様は城移りの後も何度も来ておられますけど、私は本当に久しぶりなんですもの。嬉しいに決まってます」
ぷぅっと頬を膨らませて不満げな表情をする朱里の反応が予想どおりで愛らしい。
(本当にこやつは見ていて飽きん。変に自分を繕おうとせぬがゆえに皆に愛されるのがよく分かる)
昼間も朱里は町の者に囲まれて幸せそうに笑っていた。町の者もこの地を離れた今もなお朱里を慕ってくれているのが分かった。
領土を広げるたび、その時々で政に都合の良いように居城を移してきた信長にとっては、己が一から築いた安土城と言えどもさほど深い感慨を持つものでもなかったのだが、朱里は違ったらしい。
懐かしそうにあちこち見て回ったり、顔見知りの女中や家臣達との再会に顔を綻ばせて喜んでいる様子を見ていると、朱里にとってこの城で過ごした日々がいかに満ち足りたものであったのかが窺い知れるようだった。
「いつまでもそんなところにおっては冷えるぞ。そろそろ中へ入れ」
「んっ…もう少しだけ…ダメですか?」
背中からふわりと抱き締められて、首筋に信長の熱い息がかかる。冷えた身体を暖めるように夜着の上から優しく撫で摩る信長の手の動きに我知らず身体の芯が反応してしまうが、それでも今少し天主から見える城下の姿を目に焼き付けておきたかった。
「困った奴め。貴様が風邪を引いては元も子もないというのに…」
「ふふ…大丈夫です。信長様がこうして抱き締めていて下さるから…少しも寒くはないですよ」
「朱里…」
屈託のない笑顔を向ける朱里が愛らしく、その姿は守ってやりたいと無性に思わせる。腕の中に抱き締めた身体は華奢で儚く、今すぐにでも寝所へと連れ去ってしまいたかった。
「ならば朝まで離してはやらん」
「っ、んっ…あっ…」
深く重なる唇に応え、強く抱き締める腕に全てを委ねると、寒さなど微塵も感じなかった。