第110章 魔王の霍乱
そうして、色々と信長様に心乱されつつも、私達は昼過ぎには無事に安土城下へと辿り着いたのだった。
「信長様じゃ、信長様っ、お帰りなさいませ!」
「奥方様もご一緒とは…久方ぶりだが、相変わらずいつ見てもお美しいのぅ」
「信長様、朱里様、久しぶりに寄って行って下さいよ!」
城下へ入った途端、信長様に気付いた町の人達に囲まれて方々から声を掛けられる。
安土城下の賑わいは信長様の城移りの後も衰えることなく活気に満ち溢れていた。人々の表情は活き活きと輝いて見え、多くの店先に異国からの珍しい品々が並んでいる光景は大坂城下にも劣らず壮観であった。
「久しぶりに来ましたけど、変わりませんね」
「ああ、寧ろ益々賑わっておるぐらいだ。商いが上手く回っておるのだろう」
人々に口々に話しかけられるのにも一つ一つ面倒がらずに応じていた信長は、店先にあった異国の品を手に取って興味深そうに眺めている。
「安土や大坂だけではない。誰もが自由に行きたい所へ行き、何にも妨げられることなく自由に商いができる。己の才覚一つで貧しくも豊かにもなり得る。そのような仕組みを日ノ本の隅々まで行き渡らせ、この国を強く豊かな国にする。海の向こうの大国にも負けぬ大きな国にな」
「己の才覚一つで貧しくも豊かにも…ですか。それは自由な商いは皆が一律に豊かになるというものではない、貧しさに苦しむ者もなくならない、ということですか?」
「自由な商いには競争が生まれる。品物の質、値段など、商人同士で互いに切磋琢磨すればより良い品ができる。競争によって技術は高まり、価値も上がる。競争に負ければ貧しくなる者が出ることは承知しているが…日ノ本の民は強い。政を行う者が見捨てなければ、そのような者達も必ずや再び豊かに転じることができるであろう。自由な世とはそういうものだと俺は思っている。さしたる努力もせず皆が仲良く平等に富を与えられるのが良いとは思わん」
「信長様…」
(信長様は、生まれながらの身分の差などない誰もが豊かに暮らせる世を作ろうとなさっている。でもそれは人から与えられるものではなく、一人一人が自らの努力と行動で得るものなのだ。一見、突き放したような言い方だけど、信長様は誰よりも民の生きる力を信じておられるんだわ)
信長の日ノ本の政への深い志しに触れて、改めてこの先の豊かな世へと想いを馳せた。