第110章 魔王の霍乱
「……美味しい」
思わず口から漏れた素直な感想に自分でも驚いた。やっぱり疲れているのかもしれない。
寝る間も惜しむ連日の薬作りのために、ここ数日家康もまた碌に休んでいなかったのだ。
「えっ…あ、ありがとう。あっ、甘味もあるよ。やっぱり疲れた時は甘いものだよね!」
(休む間もなく薬を調合して…家康もきっと疲れが溜まってるよね。私がもっと頑張れればいいんだけど…)
珍しく素直な感情を表に出した家康に驚いてその表情を窺うと、やはりどことなく疲労の色が見られるような気がした。
薬学の知識が多少あるとはいえ、師である家康には到底及ばず、女の身で体力的にも劣る私では十分に役に立てているとは思えず心苦しかった。
「別に…疲れてはいないけど…甘味は貰っとく」
束の間の休息ではあるが、朱里が用意してくれた熱いお茶と程よい甘さの饅頭は疲れが溜まった家康の身体を癒してくれるのには十分だった。
現地に赴いている信長達は休憩もままならない過酷な状況だろうと思うと自分だけ申し訳ないような気もしたが、朱里の気遣いは素直に嬉しかった。
「信長様達…大丈夫かな?」
朱里もまた同じように感じていたのかもしれない。
温かな湯気の立つ茶碗を両手で包みながらポツリと呟いた朱里の表情は憂いを帯びていた。
「感染状況も少しずつ落ち着いてきてるみたいだし、今が正念場だろうね。正直、薬草の在庫もそろそろ心許なくなってきてるし、ここできっちり抑え込まないと…信長様もそうお考えなんだと思う」
「じゃあ、私達も頑張らないとだね」
一刻も早い病の終息のため、連日精力的に領地を回っている信長ら武将達のことを思い、改めて気合いを入れ直す朱里を家康は微笑ましい気持ちで見る。
「張り切り過ぎて無理しないでよね。あんたに倒れられて困るのはあの人だけじゃないってこと…ちゃんと覚えておいて」
「っ…家康っ…ありがとう」
先が見えない病の流行は人々の心に暗く澱んだ陰を落とす。長引けば人心は乱れ、人心の乱れは広く世の乱れへと広がっていく。
人々の不安を取り除き、穏やかな生活を保障する。戦や病の心配をせずに済む誰もが安心して暮らせる世を創ること…それが政を行う者の果たすべき責務なのだ。