第110章 魔王の霍乱
またしても信長に心配をかけてしまったことが心苦しくて、朱里は身を縮こまらせる。
「心配ぐらいさせろ。貴様は何でも一人で頑張りすぎだ。貴様は分かっておらぬだろう?俺の目の届かぬところで貴様が傷つくのが、俺にとっては耐え難い苦痛なのだということを」
「信長様っ…」
愛情深い言葉に胸の奥がじんわりと温かくなり、深く満たされた気持ちでいると、信長は徐ろに朱里の手首に柔らかく口付けを落とした。労わるように優しく唇が押し付けられる。
小さく啄むように手首の上を唇が這う感触が擽ったくも心地良くてゾクゾクッとした甘い痺れが背を駆け上がっていった。
「んっ…はっ、あっ…信長さまっ…」
ちゅっ、ちゅっと、軽く水音を立てながら触れてはすぐに離れていくような口付けはもどかしさもあったが、自分がとても大切にされているのだということが伝わってきて、唇が触れる度に胸の奥に心地良い温かさが広がっていった。
しばらくそうして優しい口付けを受けていたが、やがて信長は仕上げのように熱い唇を深く押し当ててから朱里の手を離した。
「んっ…あっ……」
熱の籠った唇の感触が離れていくのがひどく名残惜しくて、思わず吐息混じりの甘い声が漏れ出てしまう。口付けだけですっかり酔わされてしまった気分だった。
「っ…そんな顔をするな。今すぐ全て奪ってしまいたくなる。そういえば…家康から薬を貰ったと言っていたな?貸せ、俺が塗ってやる」
「えっ…あ、そんな…自分でできますからいいですよ。信長様もお疲れなのに…」
「たまには黙って甘えろ。俺は…貴様に甘えられるのが存外気に入っている」
ぼそっと呟くように付け足すと、信長は照れ隠しのように顔を背けた。その頬がほんのりと赤みを帯びているように見えたのは、決して行燈の灯りのせいではなかっただろう。
(私も…本当は信長様に思いっきり甘えたい。甘やかして欲しい。信長様ともっとたくさん触れ合っていたい)
「ありがとうございます、信長様」
「ん…」
帰り際に家康が用意してくれた薬は炎症を鎮める効果のある塗り薬だった。
信長は小さな器に入ったその薬を受け取り、指先で掬い取って朱里の手首にそおっと塗り広げていった。