第110章 魔王の霍乱
(色々あって、すっかり遅くなっちゃった。信長様、もうお目覚めでいらっしゃるかしら)
秀吉さん達と別れた後、今度こそまっすぐに天主に向かった私は足早に階段を駆け上がっていた。
信長様の様子が心配で逸る気持ちを抑えられず、着物の裾が翻るのも厭わずに足を早める。
天主に着き、寝所の入り口の前で乱れた息を整えると、音を立てぬようにそぉっと襖を引き開けた。
(よかった。まだ眠っておられるみたい)
寝台の上に横たわる信長からは微かな寝息が聞こえていて、朱里はほっと安堵の息を吐いた。
足音を忍ばせてそっと近付き、信長の寝顔を確認してから額の上の手拭いに手を伸ばすが…
「きゃっ…」
手拭いに手が触れかけた瞬間、勢いよく手首を掴まれてビクッと心の臓が跳ね上がる。
「……どこに行っていた?」
「の、信長様?えっ…あっ…あの、起きていらしたのですか?」
腕を掴まれたまま、射るように鋭い深紅の瞳に見つめられる。
眠っておられるものとばかり思っていたので、心底驚いた。
ばくばくと煩く騒ぐ胸の音が酷く苦しく感じて、つい恨み言が口から漏れる。
「っ…寝たふりするなんて意地が悪いですよ」
「貴様が黙っていなくなるからだ。俺を置いていなくなるなど許さ…っ、ごほっ…」
見るからに不機嫌そうな信長はいつもの口調で言いかけて急に咳き込んだ。
「だ、大丈夫ですか!?無理しないで下さい、信長様」
「つ…くっ…無理などしておらん。こんなものすぐに治る」
「そんなこと言って…熱、全然下がってないじゃないですか」
額の上の手拭いを素早く取って手を当てると、まだ酷く熱い。やはり薬を飲まぬことには下がらぬようだ。
「薬ができたら家康が持って来てくれますから…それまでは無理しないで寝ていて下さい。お食事も政宗が今作ってくれてますから…食欲なくても少しだけでも召し上がって下さいね。お仕事の方は心配いりませんよ。秀吉さんと三成くんがしっかりやってくれてますから。子供達も元気に過ごしてます。えっと…他には何かあったかな…?」
「くっ…貴様…」
信長様に安心して休んでもらいたいという思いで皆の暖かい気遣いの数々をつらつらと述べる私に対して、信長様の顔がみるみる険しくなっていた。
「信長様?」